may do kill all


 昨晩はなにをしていたんだったか、なにやら探偵の事務所でドンパチやらかした記憶はある。ホロコーストが気持ちよく生き返って朝一番に見たのは、ソファの上でふてぶてしく腕組みして眠っているNNの姿だ。長い脚にまとわりついて垂れ下がっている黒い布地を、さらに上から覆うように白いテーブルクロス(だと、ごく自然に彼は認識した)がかかっている。それがどうやらひとつづきの黒いワンピースだと理解したのは、視線がゆっくりと上へ上がって彼女の顔の位置までたどりついたころだ。
 ダイニングからやたらと甲高い笑い声がするのを聞いて、ニルギリはどうやら友人たちが目を覚ましたらしいとさとる。あるいはホロコーストだけか。助手のほうは案外寝穢いところがあるから。
 ちょうど朝食ができたところである。フライパンを置いてキッチンのカウンターごしに顔だけ出してみれば、助手がクラシックメイドだった。

「なんですか。これは」
 笑い転げるホロコーストを殺すこと三回、「かわいい!」と騒いで画像保存にいそしむ探偵の頭ごとデータを吹き飛ばすこと実に五回。まだ表情筋を引きつらせたままのホロコーストをライフルの銃口が小突いた。
「ひっ……ひひっ、わ、わかんない」
「俺起きたときは普通だったけどな~」
 零下の視線はなおも二人に刺さっていたが、ややあって、NNはライフルを担ぎなおした。あらためて見てみると、見た目の割に腕や脚にはいつもと同じ服の感触。見た目通りの服装ならとっくに窮屈さと布の重さに耐えられなくなっているころだ。
 我慢は一行たりとも保たず、彼女はかんしゃくを起こしたようにライフルを床にたたきつけて、どっかとソファに腰を下ろした。苛々と脚を組む動作に合わせて長いスカートが重たげに持ち上がってまた沈む。よく見ればその正体が、彼女の周囲に貼られたAR空間用のテクスチャであることがわかる。まるで本当にそれを身につけているような完璧なレンダリング。職人技だ、と思わずつぶやいたホロコーストの貴重な真顔を、何の感慨もなくNNの左腕が吹き飛ばした。
「まあ、いいじゃん、動くのに不具合ないんでしょ?」
「不愉快です」
「え~。かわいいと思うけど?」
「あ?」
 ごうと排熱孔が唸り、文字通り激発しかけたところに、別の声が転がり込んで、
「探偵~! きいて、面白いの見つけうわ待って助手のほうが面白」ドローンごと四散した。

 ジミーのドローン二号機にいわく。
「だいたいなんで助手がここにいんだよ! おかしーだろ」
 などと丸っこいフォルムの全身を使って怒りをあらわすジェスチャーの後、持ってきた画像を表示した直後に再び散弾を食らってスクラップになった。
「あのさあ! コレ、けっこー高いんですけど!」
「すかさず三号機を寄越しといてよく言いますね」
「ぴゃ」
 短く悲鳴を上げて、殺意満面のNNの前からニルギリの背面へ移動する。その間も、送られてきた映像ではぐったりと檻の中に伏したNNは動かない。腹を抱えて笑っているホロコーストのことも今は無視しておくとして。
「だいたい、そんなこと言ってるばあいじゃなくない? ボク、助手が売られてるんだと思って探偵にわざわざ教えにきてやったのにさ」
「ずいぶん安く見積もられたもので」
「言ってまだ競売始まったばっかだから」
「誰が値段の話をしていますか」
 予備義体が盗まれた気配はない。そもそもそうであればNN当人が真っ先に気づく。ようやく笑うのに飽きたらしいホロコーストは顔を上げて、その背景をしげしげ眺めると手を打ち合わせた。
「助手ちゃん、ここ俺見覚えあるわ」
「は?」
「ノーフェイスの奴が通ってたんだけど、あいつ最近羽振り良すぎて出禁食らったんだよ。こりゃわかりやすくあいつの嫌がらせだな」
「なんで! オークションに! 出禁を食らって! こちらに矛先が向くんです!?」
 助手の手が勢い彼の胸ぐらをつかんで大きく揺さぶる。笑い袋でも振り回してるんじゃないかと思うとむなしくなってすぐに手を離し。
 おおかた目的に予想はついている。
「場所は」大きな溜息とともに彼女が吐き捨てるのと、ニルギリが同じセリフを吐いてドローンを見上げるのは(NNにとっては不本意極まりないながら)同じタイミングであった。
 助手の刺すような視線を受け流して位置情報を受け取る。
「放っとけないんだ?」
「寝覚めが悪いだけです」
 短く答える声に、ドローンが目をしばたたかせて、窓からよろよろと外へ出て行く。相変わらずよく振る雨の中に、それはたちまち溶けるように姿を消した。
「助手ちゃんメイドちゃんのまんま行くワケ? 後で動画」
「殺しますよ」
「殺してから言う?」
 ゾンビの挽肉と会話するのに慣れてしまうのも考え物だな、と他人事に考えながらライフルを担ぎ直すのだった。

 そうはいっても。
 奥行きある宇宙を閉じ込めたNNの目は、自負の通りそれなりの知名度と人気がある。こういう競売の場では、彼女が不自然におとなしいのもそもそも捕まえられていることも、気にするような者はない。相応に卑劣な手段を使って拘束できているものという共通認識でもあるのかもしれない。檻の中の彼女は、事実麻酔薬で茫洋として、演技するまでもなく弱りきった様をさらしている。室内の薄暗さも手伝って、彼女を覆うテクスチャは檻ごしに完全に周囲の目をだましおおせていた。
 連れ去られ、意識を取り戻してすぐ自分なりに対抗策は立て、抵抗はしたがあいにくとハッカーの能力も向こうが上。悲しいことに、相手の動機が読めない以上彼女が自分でできることは限られていた。
 値段をつり上げる声に、聞き慣れた声が混ざる。ゆるりとそちらへ顔を上げると、くすんだ金髪をオールバックに、ちょっといいスーツでめかし込んだ探偵が彼女に向けてウインクしてみせた。
 檻の内外は完全に断線されていて、電脳を含むネットを使ったやり取りは不可能である。彼女が自分のほうへ視線を向けたことに気づいた探偵の口元が「どれくらい動ける?」と声を出さず言う。

 当のNNはといえば。
 裏口の守衛を殴り倒した拳を振って血を払い、イライラと扉を蹴とばした。スニーキングミッションほどつまらないものはない。なんといったって、表立って喧嘩をすれば計画自体が台無しだ。それも中に入るまでの我慢とはいえ。
 とはいえ隠れる必要がないのだけはありがたい。メイド服のテクスチャを見て、相手が思考停止している間があれば事足りる。少しもありがたくない。究極の目的はこいつを自分に貼り付けた奴の顔が文字通りなくなるまでぶん殴ってやることだ。
 ジミーは害するに値せぬ女子供だ。
 彼女がノーフェイスの思惑に乗ってやる理由はそれで十分であった。
 そして、それに必要なのは何より派手であること、相手を退屈させぬことだ。「奉仕精神旺盛、メイドさんの鑑だな!」と言う悪友の頭を蜂の巣にしたことは記憶に新しい。品目別に分かれた会場を覗いてはめぼしい商品にあたりをつけ、一番奪って金になりそうなものを売っている会場を単身制圧に乗り出すことに決めた。

 別の会場から轟く悲鳴諸々をよそに、この会場の競売は粛々と進む。競り合っているのはニルギリと他に数人、金額はゆうに個人がやすやすとは出せないところまで釣り上がっている。実際に出す金があるんだか、最初から釣り上げることだけが目的なのか。このオークションは落札した時点で対価が引き落とされる仕組みらしいから、少なくともここでニルギリが落札すれば赤字どころの騒ぎではない。もっともそれで手を引く男であればああも激しく憎まれることはなかろう。
 よその喧騒はよそのもの。その空気は限りなく彼の出身である上流の空気に近い。もっとも、上流の人間ならここらで切り上げて涼しい顔で避難することだろう。
 仮にもしっかりした会員制のクラブからつながる競売場だ。警備にだって金がかかっているが、相手はデイブレイカーだ。それも今はとびっきりに機嫌が悪い。壁がぶち破られるのをよそに、ニルギリは視界に表示されたNNの目の値段を眺めていた。
 ここに至って隣の会場をぶち抜いてきた叫喚がここへも波及し、騒ぎの中心から人が弾き飛ばされる。室内に走る余波がモップの長柄による風圧だとこの場にいるどれくらいが気づいただろう。逃げ出すものと怒鳴るもの、あるいは殴り込んできた筋骨たくましいクラシックメイドに唖然とするもの、叫喚の内訳は様々だ。頭の悪い光景をニヤニヤ笑いでやり過ごして、探偵は間をつなぐためのベットをやめた。
 長い黒のスカートが遠慮がちに裾を舞い上げ、真っ白なタイツの足首までを慎ましやかに晒す。棒術さながら、あるいはリボンダンスを彷彿とさせる軽やかさでモップが弧を描く範囲から、組み付こうとした者がはじき出され、あるいはたたきのめされて踏み台に変わる。NNは見た目ばかりのモブに一瞥もくれず壇上を目指した。このためだけに射撃用の義体から白兵戦用の義体に着替えてきたというのだから大した徹底ぶりである。薄暗がりにヘッドドレスのリボンが舞うのを見たそばから、そいつの視界は脳震盪にシャットダウンされる。
「どこです?」
 檻の前に立ち、NNは中の少女を見下ろした。
「わかんない、まって……」
「ずいぶんと」鼻で笑う。「しおらしいことで」
 むっと顔をしかめる彼女から目をそらし、その腕がモップを振るう。
 警備ドローンを撃ち落とし、警備員の顎を掌底が下から砕く。クラシカルなメイド服に包まれた腕は服装に不似合いな無骨さを布地の下から主張する。跳ね上げられる動きについていかず沈み込むロングスカートのラインが、同じく無骨な下半身の線をなぞる。フルボーグにはおよそ不必要な類いの肉体美、筋肉のかたどる凹凸が一瞬その柔らかな布の上に浮かび上がって、風を孕んだ一撃のもとにただの鈍器へ変わる。布地が動きを制限するとふんで殴りかかるやつから回し蹴りで宙を舞った。
 庇うまでもない探偵は、壇上を眺めて危うく人死にが出そうになるときだけ対象を庇っているらしかった。
 今更のように、殴り込みクラシックメイドがNNであることに動揺する声が上がりはじめ、声を上げた者からモップで殴られて床に叩きつけられる。なにせあのメイドはいまとびっきり機嫌が悪い。
 一方で。
 商品のほうのNNが、ようやく重たげに顔をあげて、檻の外へ手を伸ばす。騒動に巻き込まれて床を滑ってきた端末を掴んで、それを媒介に檻の機能を無効化し、ネットワーク、自分のフィールドを取り戻す。そうなれば、かくれんぼはただの鬼ごっこに変わる。一声でも上げればさとられる、乱闘のさなかに、檻の中で編んだ網を広げる。作業は慎重にかつ大胆に。相手に気取られればこちらのものだ。ARの視界にかけたフィルタを通して、透き通った緑のラインが走り回る人間一人ひとりを絡め取りながら伸びていく。
 巧妙にその網の間をすり抜ける人影を捉えたそばから、NNの電脳に「網」の情報ごと投げ渡す。檻の前に立ちはだかって流れ弾や商品の持ち出しに注意しながら暴れていたNNの姿は、そこから滑るようにかき消えた。
 入れ替わりに、機能を最低限まで落とされた檻の鍵を壊して、細い手が彼女の頭にのせられる。
「お疲れ様~。がんばったね」
「人使い荒いし、ふつー助けるならもっとスマートにするもんじゃないの?」
 テクスチャを剥がれてようやく自分の外見を取り戻した彼女は、らしくもなく眉間にシワをよせて怒ったような顔でそれを見返す。抱き上げられると、ようやく半泣きでその細い肩にしがみつき、大声で悪態をつくのだった。

 チェックメイト、などと口に出して言うのは馬鹿だ。
 言葉にする間に逃げられるのが世の常である。有無を言わさず殴りかかるモップの柄を紙一重で交わした男が電脳上に<泥>をぶちまけ、動きを阻害する。ノーフェイスは彼女の重たげなスカートがただのテクスチャであることを知っていた。
 拳銃を向けた手を掴まれると、逃亡先の義体を先読みしたように、もとの義体をぶん投げて体当たりされる。むちゃくちゃだ、とこれには内心舌打ちする。NNの補助によこされたシステムはジミー特製の<網>だ。彼を捕捉することだけに特化した馬鹿みたいに限定的な機能、それゆえ軽く高性能である。たかだか遊びのためだからとホロコーストを使う手間を惜しんだのがここにきて祟ったのだと自覚していた。
「残念でしたね。義体の性能でしたらこちらが上のようで」
 モップの軌道をすんでで変更する。大きく空振りしたNNの電脳を焼こうと仮想デッキに滑らせた指を、上からばしゃりと血が濡らした。
 額に大穴を開けた男の体がその場に崩れ落ちる。
 勢い彼の隣を走り抜けようとした脚がつま先でターンして、振り返った。振り下ろした足裏の感触がその脳を確実に破壊したことを確認するのと、メイド服のテクスチャが解けるのは変わらぬ頃合いであった。右手に掴まれたままのモップだけが、少し遅れてライフルの表面から剥がれた。
「ジミーのテクスチャはあなたの作品に及ばないが、錯覚と合わせると大変有効だったと見える」

 スカートの下はちゃんとドロワーズだったのか気になって死んでも死にきれない、と言い残してホロコーストは蜂の巣になった。
「どうするの~、あんなに大暴れしたらいろいろなとこから目を付けられるよ」
「これからしばらく退屈しませんね」
 大股に仮眠室へ向かうNNを見送りながら、
「なんで、ボクだと思ったのさ」
 なんにも言わなかったのに、とむくれるジミーに、ニルギリはシュークリームとジュースを出してから向かいに座った。当然のように自分の前にも同じセットを置いて。
 そのいらえは簡潔だった。
「いくらあの子が捕まってて珍しいからって、好みの謎もないような場所に君が俺を呼んだりしないでしょう」
 怖かったね、と頭を撫でる手をはたき落として、「怖くねーし! ボクにだって思惑あったんです!」などと強がりを言って出ていく背中を微笑ましく見送る。
 後日週刊探偵王国の通販ページに例のメイド襲撃動画がアップロードしたジミーが動画からの収入をすべて助手にカツアゲされる羽目になったのはまた別の話だ。