落とせなかった星の話


 N.N。
 私がその名――厳密にそれを名と呼んでいいものかは未だに悩むところだが――を耳にしたのは一年ほど前のことだ。同業の中でもうざったいやつ、目の上のたんこぶ。まあたいていのハッカーがそういう見解を持つやっかいな仕事仲間に、ノーフェイスというのがいる。そいつに吠え面をかかせたんだとかで、ふと仲間内で話題になったのである。ノーフェイスにネームレスねえ。有能な奴はどいつも顔なり名前なり棄ててるもんなのかね、そんなことを吐き捨てた仲間の言葉をよく覚えている。
 でも確かに、堂々と名前や顔を棄ててるってことは、他に失うものがないってことだ。そうなれば、「なりふりかまわず動けるってことだろうな」
「失うものがない、ね」
 そんな会話をして、実際そいつと行き会ったのはとあるバイオ兵器護送の依頼を受けたときだ。ちょうど、同じ依頼を受けて一緒に働くことになったのだった。そのときの私の驚きといったらわかるだろうか。
 並の男と並ぶほどの背丈と、筋骨たくましい体つき、短い金髪。女だって? 声を聞いたってにわかに信じられなかった。左腕はやたらとごつい装甲のサイバーアーム、そこにばかでかい銃口が収まっていることも本人から聞いた。
 異様なのはその相貌だ。深い紺碧からどこまでも奥へいけそうな奥行きのある黒、そこに瞬く大小の星々に、それをとりまいてゆったりと流れては色を変える星雲。その、まるでそこだけ宇宙を切り取って持ってきたような目。彼女がNameless Neburaと呼ばれるゆえんはまさにその両眼であった。
「いいでしょう、気に入ってるんです」
 フルボーグだというから、わざわざそんなデザインの目を特注したのだろう。それにしたって、へたをすれば顔の面積の三分の一にも及ぼうという大きさは、逆に不便ではあるまいか。助手席でライフルを抱えたままうとうとする彼女を眺めて、聞いていいものやら迷っていた。そういうこだわりに触られるとうるさい奴というのも一定数いるものだから。
 彼女の声は静かだ。
 いつも一緒に仕事をする手合いに比べてダントツに。何も考えてないわけではないだろうに。
 私はその仕事を完遂するつもりはなかった。バイオ兵器というのが、親元からさらわれてきた子どもであり、その中に植えられた医療用ナノマシンのことであるというのを事前に知っていたからだ。持ち主の電脳を介して他人の交感神経に作用し、死にかけた身体を蘇生に導く他、過干渉させれば当人の身体の作用をして標的を殺す。ここまでくると超能力じみているな、と思う。
 ともかく、私は護送先でひと暴れして金だけせしめるつもりでいた。子どもの親元は調査済み。子どもを預けてきたのはけちな犯罪組織だし、護送先もそう大きな企業ではない。運転の合間に話すと、彼女は「そういうあくどい企業は、得てして切り札を隠し持っているものですよ」と涼しい顔で言うのだった。その時初めて彼女の声は、期待にざわついているようだった。
 目的地は、荒野とまでいかないが、アリエスから外れ、あまり法の拘束が届かない場所である。
 はたして彼女の予想、あるいは期待通り。その企業は凶悪な合成生物を数頭作っていた。私たちがついたころには大混乱で、あっちに火の手があがり、向こうで悲鳴が上がる。ひどい有様であった。私たちが何かするまでもなく、馬鹿が合成生物の扱いを間違えて外へ出したのだった。
 助けてくれとすがる白衣を蹴飛ばして、荷台へ向かう。うずくまっている子どもに出てこないよう注意し、一緒に載せていたメルカバへ乗り込む。接続が済み次第荷台から飛び出して周囲の様子を見る。雷のような咆吼を聞いて背筋がぞくぞくと泡立つ感覚がした。私の感覚じゃない。背中を駆け上り頭がじんとしびれるような快感から立ち直るころに、合成生物の背中にとりついたNNが、その甲殻の間にライフルの銃口をねじこんで引き金を引くのが見えた。ずしんと腹の底に響く振動と、先におぼえたあの感覚。
「あと何体いるって?」
「全部で六。さっきので二体です」
「あと四」
「はい」
 倒れるキメラの背中を蹴って地面に降りる。彼女の顔が黒煙を吐く研究棟へ向く間に、私はキメラの死骸から実験用のタグを割り出し、残りの固体の位置情報を拾った。
 電脳へそれを送ってやると、いくばくもなく彼女の姿はかき消えた。一刹那とらえた横顔、その口元がつり上がって見えた。
 あとは語るまでもなく。二体ずつを手分けしてたたきつぶし、当初の予定通り子どもは親元に返した。成功報酬の代わりに火事場泥棒したものを山分けして別れるときには、また彼女の声はもとの平静なものに戻っていた。ただ、ちらと私の得物メルカバを見て「面白いものを持っていますね」と言うのだった。
 一瞬、その声がぞわつくような色気をまとって耳元をすりぬけた。

 なんとなく今もつきあいがあるのは、仕事で一緒になるわけじゃない。彼女の静けさが心地よくて私のほうから連絡を入れて、ときどき暇つぶしにつきあってもらうことにしているからだ。
 彼女の『声』は静かだ。
 何度か誘って遊びに行ったり飲みに行ったりする間に、それがどうやら意識的な抑圧によるものだとは気づいていた。なにを抑えているのかまではわからない。時折出くわす心底不機嫌な顔の時も、声だけは水面を撫でるように静かなのだった。今夜も。
「や」
 正面から歩いてくる彼女に手を振ってみせる。今日はいつもにもまして具合の悪い顔をしていた。
 足を止める。いつもは肩にひっかけている上着が、今は右腕にぐしゃぐしゃに握られている。裾が真っ赤に濡れているのはとりあえず見ないふりをした。
「こんばんは。仕事帰りですか」
「病院帰りだ。最近仕込んだバイオウェアの調整に」
 ひらひらと手を裏返してみせる。とりあえず傷が完全にふさがるまで三日間ほどは被覆材を剥がすなと釘を刺されている。
「君こそ仕事帰り?」
「……そうですね」
「ずいぶん意に染まない仕事だったみたいだ。気晴らしでもする?」
 暗殺とみた。たしかに彼女の性分には合わないだろう。
 すると、顔を上げて「気晴らしですか」妙にそのいらえは弾んでいた。
「あなたの――」
「喧嘩はなしだ」
「ちっ」
 露骨な舌打ち。目の大きい顔は拗ねるといやに幼く見える。
「今手を見せたろ」
「それが治らないとメルカバを動かせないとでも?」
「当たり前だ。動かすくらいはできるけど、君がしたいのは狩りじゃなくて喧嘩だろ」
「おっしゃるとおりです」
 いよいよ眉間にしわを寄せて唇をとがらせる様がおかしい。
 申し訳ないついでにうちで一杯ひっかけていかないかと誘ってみると、彼女は渋々と言った体でうなずいた。一度浮かんだ考えは長く残るたちなのか、終始歩行戦車と戦うことを考えてそわそわしていた彼女につられて、そういう気分になった。こうしてつられるのが、私の融通の利かないとこだ。だからうるさい奴は好かない。
 暗くした室内に、適当に引っ張り出してきた映画は流しっぱなしで。ソファの隣でそれを眺めていたNNの手からグラスをひったくって中身を飲み干した。怪訝そうににらむ相手の後ろ頭をひっつかんで下を向かせ、唇に自分のそれを重ねる。にわかに室温が上がるような錯覚。
 彼女の両手が私の胸ぐらをつかんでソファに倒し、反射的に開いた口に舌をねじ込む。興奮の後ろに、また彼女は何か抑えつけていた。安酒のにおいが呼気にとけて頭がぐらぐらする。彼女は私の手がうなじを撫でて背中を下ることを拒まず、彼女の手は私の襟首から中へ入って素肌の上を滑った。外見の印象に似合わず細い指だった。背中をなぞれば、引き締まった肉の下で背骨が緩やかにS字カーブを描いていることに気がつく。私が考えていたよりもずっと、その身体は女の形をしていた。
 ひとつも声をもらさないくせに、その意識はそれまでのどんなときよりもぐちゃぐちゃに乱れきっていて、それを押し流そうとでもいうように、彼女の求め方は激しかった。求められるというより、強請り取られているような。
 べったりとはりついた肌から流れ込む、ぐちゃぐちゃの『声』が夜通し私を貫いていた。

「不躾なことをなさるんですね」
 朝一番に彼女から出てきたのはそんな苦言だった。
 何事か思い至った私が苦笑いしながら手を上げて「不可抗力」と降参のポーズをとると、NNはへの字に曲げた口はそのままにとりあえず納得だけはしたようだった。
「ばれたのは初めてだ」
「肌から伝われば聞こえます。エンパスは身近にそこそこいましたから」
「へえ。フルボーグじゃなかったっけ? もとはどこかの実験体とか?」
 そういえばそれで胴部が生体パーツだったり性機能がついているのもこれ如何、ではあるか。
「故郷の話です。ここじゃない」
 いわくここでは発声による意思疎通が一般的なのだから、そんな話法は必要ない。道理である。ここでは、とはどういう意味か知らないが。
「私だって好きでやってるんじゃない。同調率を下げることはできるけど、それも意識してないと結構疲れるんだよ」
「不便ですね」
 まだソファに寝転がってぼーっとしている私を置き去りに、彼女はさっさと服を着てしまうと、床から自分の荷物を取り上げた。血が乾いてばりばりになった上着と、弾の入ってないライフル。
「君が好きなんだ。何を抑えてるか知らないけど、静かだから」
「そうですか」
 彼女はこともあろうに相づちをその一言で済ませた。躱すなんてものではなく、かけらも意識していない顔に声だった。わりと悲しいが、肌が触れていないことにはこちらの気持ちは伝わらないらしい。
 そのほうが気楽でいいといえばいいんだろうか。気のせいかもしれないし。
 意識されているというより、ストレスのはけ口的に、たまに寝るようになった。飲み歩いたり、カジノで遊ぶ合間に。相変わらず、水面を撫でるような平静な彼女の声は、抱くたびに大雨の雑踏のように乱れてぐちゃぐちゃになった。その狂乱の後ろに、彼女が抑えつけているものが耐えがたい恐怖や憎悪であると、私が識別できてしまうほどに。

2.

 今日はいつもにまして雨がひどい。
 白く煙る路地の向こうから、耳を突き破るような乱れた『声』が聞こえている。空気を引っかき回し、私の頬をさえ引っ掻いてひりひりさせる、ひどい動揺、激怒、憎悪、殺意……恐怖。NNの声だった。同じくだれかを怒鳴りつける声。
 珍しいな。
 最初によぎったのはそんな思いだ。
 いつも、あんなに静かな奴はいないのに。何があんなに爆発しているんだろう。興味本位でそちらへ足を向ける。
 雑踏を過ぎ、狭い道を道なりに抜けていく。近づくにつれていよいよ声はたたきつけるように、私の身体を押し返そうとする。雨の中に、一対の男女の姿があった。
 片方が女性だと私が知ってるからそう見えるだけだろうけど。なにせ、相手は彼女より小柄で細い。何かすごい剣幕で怒鳴っているのを、へらへらと笑って受け流していた。脳にたたきつけるこの『声』とごっちゃになって、NNが何を言ってるのかはさっぱり聞き取れない。
 ややあって、銃声。
 雨に混じって肉と血が降る。
 私がそこまでたどり着くと、向かい合っていた男は挽肉さながらに壁と地面とにへばりついていた。なおもそいつに向かってライフルを突きつけたのを見て、思わず肩を引き留める。
 ぎん、と怜悧な殺意とともに、まっすぐその目がこちらを向いた。視線に質量があれば、私はその一撃で死んでいたろう。
「や、やあ」
「なんです?」
「いや、驚いたから。どうしたんだ、その……」
 うろたえている間に向こうが落ち着いた様子で、ライフルを肩にかけなおす。一呼吸置いて、
 水を打ったような静寂。
「無駄弾を使うところでした」
 遠くから、雨の音が戻ってくる。
 また、抑えた。
 音も立てず、左腕が銃口を飲み込んで、腕の形を取り戻す。そういえば、彼女が左腕の銃を使っているのも初めて見た。こんな、細い、弱そうな人間を相手に。
 死体は、私と年齢のあまり変わらない男だった。肌は血をすべて流し尽くしたんじゃないかとばかりに白く、
「――?」
 どうして、死体があるんだ?
「さっき、挽肉みたいに……」
「いつものことですよ」
「ひどいな~。服もう着れないじゃん」
 目を開けたそいつに向かって、肩に引っかけていた上着をたたきつける。NNは見たこともない苦々しい顔つきで彼を見下ろしていた。
 男はNNの投げた上着を羽織って悠然と立ち上がり、ようやくこちらに気づいたふうな顔で笑った。
「こんにちは。この子の友達かな?」

 男は、ニルギリ・カタラーナと名乗った。
 彼女の仕事仲間を自称するが、NNのほうはとてもそんな雰囲気ではない。傘を取り落としてずぶ濡れになっていた私に、乾燥機とタオルを貸してくれるというのでついては来たものの。
 NNはその場で一言「帰ります」とだけ言い置いて別方向へ歩いて行ったきりである。
 水気をぬぐってしまって人心地つくと、見計らったようなタイミングで紅茶が出てくる。そういえば、ニルギリって茶葉があったな。
「びっくりしたでしょう。あの子、いつも不機嫌だから」
「いつもは、そうでもないですよ」
 少なくとも私が見たことのある彼女は。
「よかった。気の置けない友達がいるならなにより!」
 それはどうやら本心のようだった。彼女がああも憎むような相手には思えない。
 あの路地で聞いた声はベッドの上で聞くあの叫喚よりもひどいものだった。
 雑談のついでに依頼があればどうぞと気軽に手渡された名刺――名刺だ。紙の。無駄に上質な。このご時世に!――には、探偵という肩書き。くどいようだがこのご時世に、だ。
 この事務所もずいぶんと静かだ。
 と、いうよりも、彼は考えたことはそのまま口に出す手合いらしい。そういう奴の『声』はない。
「彼女、ずいぶんあなたのことを嫌ってますね」
「そうだね~。あんなに毎日、飽きずに殺してくれるのはあの子くらいだよ」
 やっぱり死んでたのか。挽肉になって。それなら今ここにいる彼は何者なんだろう。恐ろしいのでわざわざ質問する気にはならない。殺してくれる、なんて表現する割に、別に死にたいわけでもなさそうだし。
 彼女のことを話すニルギリ探偵は、まるで年下の兄弟の話でもするように、顔をほころばせている。
「何をしたら、あんなに嫌われるんです?」
「ああ、うーん。あの子、お兄さんが一人いたんだけど」
 ちょっと苦笑いして、「俺、お兄さん食べちゃって」

 その男が何を言ったのか、私にはちょっとわからなかった。
 探偵にいわく。彼女はもともとこの星の人ではなくて、元の形は魚にそっくりなのだとか。それで、「それで、魚だと思って、食べた……」
「そう」
 ――この目だけは、自分の身体なんですよ。
 何度目かのとき、彼女はあまり興味しんしんに目をのぞき込む私に向かって、そう言ったことがある。
「で、俺は嫌われちゃってるからねー。ちゃんと、一緒に遊びにいったり、そういうのができる友達がいて安心したよ!」
 仲良くしてあげてね、と、彼は心からの笑顔で言う。
 私の足は、反射的にじりと後ろへさがっていた。乾燥機がアラームを鳴らし、仕事を終えたことを伝える。ニルギリがそちらへ歩いて行くのを見て、ようやく来客用のソファに腰を下ろした。足から力が抜けてしまったようだった。
 なんというか、ひどくおぞましいものに触れてしまったような気がして。
 服を持ってきてくれたニルギリに手短に礼を言って着替え、食事の誘いを断ると、逃げるようにそこを出た。まだ雨がひどいからと、貸してくれた傘を差すことも忘れて。
 恐ろしかったのはあの、かけらも悪びれない口調だ。おぞましいと感じたのは、彼女をかわいがって心配さえしているようなあの態度……一欠片の嘘もなく。私がそのことに気づいたのは再びずぶ濡れで自宅へたどり着いてからだった。

「殺します」
 次に会って、NNにニルギリのことを訊ねたとき、返ってきたのはそんな言葉であった。
「死なないのなら死ぬまで殺す。きっとではなく絶対に。生まれてきたことを後悔できるくらい痛めつけて。殺します」
 ネクロソーマの殺し方なんて誰も知らない。
 見開いた目の真ん中にぽっかりと開いたブラックホールが、瞳孔めいて揺れる。収縮を繰り返して、消える。彼女のぐちゃぐちゃの中身を、初めて把握して、愕然とする。
「望みはないと……」
「いいえ。殺します」
「自分で、わかってて、言うのか」
 唐突に景色が、前へ流れた。
 自分が蹴られて吹っ飛ばされたんだと気づいたのは、数瞬後、道向かいのビルに背中をたたきつけられた時だ。よく人を巻き込まなかったものだ。息を詰まらせてそこにうずくまる。背骨がきしんで、つま先に抉られた胸郭は息を吸うのを拒む。私を遠巻きに、ざわつきながら避ける人の間をすり抜け、NNが大股に歩いてくる。胸ぐらを掴み、無理に立たされた。
「何かおっしゃいましたか」
「言ったよ。無駄な、努力だ、と。自分で、判っててやってると」
 今度は左の拳が容赦なくみぞおちを突き上げた。崩れ落ちて吐き上げるのを淡泊な視線が見下ろす。
「もう一度言ってみろ。命が惜しくなければ」
「……」
 恐ろしいことに。
 この雑踏の中に、彼女の声はひとつも混ざらなかった。
 しばらく腕で抱くように腹を押さえてもだえた後、私は答えずに両手をあげた。降参を見て取った彼女はそれ以上追及しようとせず、肩を怒らせて歩き去った。
 私は彼女の静かなところがたまらなく好きだ。
 その痛々しいほど徹底した自制が、とがった刃のように張り詰めた凜々しさが、傍から見る分にはただただ美しいのだ。
 見るだけで満足していられたなら。
 だってどんなに美しい星も、撃ち落とせばただの石ころじゃないか。