出られない部屋
ひとしきりあたりに銃弾をばらまいて、とうとう弾がなくなってしまうと、彼女はようやく息をついて、腕をおろした。
傷一つない白い壁を見つめて呆然と立ち尽くすNNのうしろで、暢気に笑うものがある。
「なん……っなんですかこれは!」
「最近ハッカーの間で流行ってる遊びだって。ノーフェイスが言ってたよー」
ニルギリ探偵にいわく。
いわく寝てる人間の脳をハッキングして意識を白い箱状の空間に閉じこめるのだ。簡単なクイズだとか条件を出して脱出させるという。ちょっとしたいたずらだ。
足がつきやすいので通常は気の置けない間柄でしかやらないものらしいが。
「なにが気の置けない間柄だあの野郎!」
「まあまあ。ノーフェイスが犯人と決まったわけでもなしー」
「この部屋の脱出条件は?」
「今解析中」
「なんで?」
「書き換えてる途中みたいなんだよねー。ちょっと待ってね、いいかんじのとこで固定するから」
「は?」
助手の困惑をよそに部屋の中からもっと深く潜ろうとする。が、彼の動きはあちらさんにもしっかり読まれていると見えて、結局肩をすくめて降参のポーズをとった。
条件が定まれば直感的にそれがわかるのは電脳を直接いじるものだからだろうか。条件をさとるやさっと青ざめる助手、それを見て笑う探偵の対比は見る側からしたらさぞかしおもしろいことだろう。あとで助手が殴りこみに来ることを考えなければ。
しばらく相手を眺め、それから「冗談じゃない!」と匙を投げたのは当然NNのほうであった。
「そう? 案外あたりさわりなくてよくない?」
「ここからずっと出られないほうがマシだ」
「なるほど?」
助手は不貞腐れた顔でその場に座り込む。家具のひとつもない殺風景な部屋である。
「意地張ってると現実の体は多分餓死すると思うんだけど、そうすると俺が勝ち逃げみたいになるのかな?」
勝ち逃げ、という単語を聞くや、彼女の顔はあからさまに不機嫌そうにゆがんだ。とはいえ、この条件に沿うような行動を自分がとれるかと言われたらまず絶対にできない。
それを察した様子でにこにこしているニルギリの様子も彼女の不快感をあおり立てる一因であった。彼に関しては視界に映るだけで不快だ、という前提はひとまず置いておくとしても。意識ばかり隔離しているくせに手のひらに伝わる床の温度さえ嫌になってくる。
「俺がやってもいいよ?」
「……」
じとっとした目つきがニルギリを見上げる。
たっぷり十分ほど間をあけて、ようやく「そうですね」という返事があった。
「犯人は特定できてるんでしょうね?」
「もちろん」
彼はその場にひざをついてNNの顎に手をかけ――
強か殴り飛ばされた。
「なに?」
不快、というより、体を起こしたニルギリは珍しく困惑した表情で抗議する。
「こっちのセリフだ!」
「えっ、キスしないと出られないじゃん?」
「は?」
「え?」
再び沈黙が降りる。先までよりいささか耳に痛い静寂のあとで、「違うの?」と、笑い混じりのニルギリの声があがる。
「プロポーズを、しろと」
「なるほど二重条件か。どちらかが真ならいいのか、どちらも真でないといけないのか」
「冷静に分析しないでください、頭が痛くなってくる」
現に、NNの廃熱孔はごうごう音を立てて稼働を始めていた。この様子では、これが仕事できなくなるのも時間の問題かもしれない。
「くそっ、どっちも……どっちもいやだ……!」
「そんな深刻に嫌がるほど?」
冗談じゃありませんよ、と悲鳴のようないらえを笑顔で聞き流し、ニルギリはその場に座り直した。こうなったらしばらくはかたくなになるのがこの助手の質であった。
殺したいほど嫌いだからキスのひとつもできないというのが彼からしたら理解しがたいところだ。とはいえ、嫌がるのに無理にするわけにもいかない。腕力の差をかんがみても。
事態は、彼の想像より早く動いた。
おっくうそうに立ち上がったNNは、いつもよりも殺意のみなぎる目つきでニルギリのほうを振り返って大股に近づく。
「どっちがいいか決まった?」
キスかプロポーズかでここまで追いつめられるといっそ愉快である。手で顔を覆って何度か深呼吸した後で、NNは彼の前にひざをついてまっすぐにその顔を見つめた。
***
目をさましたNNの手が、上でおろおろしていたドローンを鷲掴みに自分のほうへ引き寄せた。丸いドローンはばたばたと足をばたつかせて「ぴゃ」と小さく悲鳴を上げる。
「ジミィ……」
「ぼ、ボクじゃない! やったのはボクだけどボクじゃない!」
血を吐くような声であった。いっそうおびえた様子でじたばたするドローンを握り潰さんばかりに握りしめて、彼女はゆっくりとベッドから体を起こした。隣ですうすう寝息を立てる探偵のほうは見ないようにして足をおろし、左腕の散弾がきちんと入っているのを確認する。
「いいでしょう。子どもですからね、悪ふざけの一つや二つはやってみて、相手を選ぶことを学ぶものです」
「だ、だからちがうってぇ」
「追いかけっこしましょうか。これに懲りて自分も電脳の使い方を鍛えなければと思っていたところだったんですよ」
ARにジミーの用意した偽装IDがいくつか散らばる。周辺にいくつもばらけているが、なに彼女の足ならば一つずつあたればいずれ本物に行き着くという寸法だ。
その思惑を察した”ジミー”はといえば。
「や、やだ――!! こないで! 来んな!!」
叫び声をよそにまずは室内のドローンが握りつぶされ、窓の外のドローンが打ち落とされた。
本体が捕まるのも時間の問題であった。
設定を外からいじるぶんには足がつかないと判明して怒りの矛先がノーフェイスに向かうのはあと数時間後のことだ。
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