うつくしきもの


「人の美意識は欠損および歪曲だ」とはドクターの言。
 時折思い出したように妙な事を言い出すがこれでもなにか糸口を掴んだ上で発言しているものらしい。もっとも自分がそれを察するようになったのは彼女の世話になってようやくこの体で日常生活が送れるようになった頃だ。
 今回はすることもなく義肢の調整を眺めて突っ立っていたから。上腕の半ばから途切れた左腕を見て「それがなにか」と返してみるのが関の山だ。自分がきれいだと感じられるのはそういう哲学っぽいものじゃなくわかりやすいものだ。今は遠い星の海とか、歪みのないガードレールのカーブとか。
「古くにはヴィーナス。両腕のない女の像がどれだけのあいだ有難がられたかしってるか」
 存じ上げない。視界にぞんざいなARが投射される。流線のみで形作られた女性の両腕は、肩から少し降りた所でそこだけ断ち切られたように消え失せる。断面は荒い。心地よい流線はそこで角と曲がって台無しになる。
「どうしてです?」
「腕があったらどんなポーズを取っていたと思う?」
 質問に質問で返すのはいかがなものか。
 なんとなく促されて目はそちらへ向く。
 ゆるくカーブを描く胴体の線。筋肉の流れまで想定されているような丁寧な仕上げなのに彼女の腕だけは、肩がどこを目指しているのか読み取れない。
「どこを向いてるんです? これ」
「さあね」
 自分の肩を上げてみる。肩甲骨は下がるし、体もやや傾く。傾いてるのは同じだが、やはり像の方ではただ体を傾けてるのだか手を伸ばしたいのだかわからない。
「結局なんなんです?」
「なんでもないよ。雑談てやつだろ」
 目的のない話はいい。別に。
 自分が睨まれていると気がつくと、彼女は肩を落として笑って見せた。
「この世界には美しいものばかりだな」

 その日のトップニュースは廃棄された大量のトルソーが海をめぐる長い旅路を終え、港に打ち上げられたことだ。白い胴体が積み重なるさまは古い防波堤さながら、それを美しいとは思えなかった。