ハッピーエンドのパターン1
ことこの戦闘に関して言えば。自分にはつゆ払い以上のことをする意味はなかった。
というのも、ヴィクターはホロコーストただ一人を見ていたのだし(共感はできるが虫酸が走る)、ここらにいるゾンビどもの中にあの男はいない。わいてくるゾンビをつぶし、たまにホロコーストの死角をとるヴィクターを撃つ。彼らの間にはまた別な共感があるらしいが、そんなことはこちらの知るところじゃない。
それにしたってさんざん探させておきながらあの探偵は影も形も見えない。
あの手の中でぬめついた単分子ナイフがホロコーストののどを裂いたのは、これで何度目になるだろう。思いの外辛抱強く、彼はそれを正面から受けてヴィクターを撃ち殺す。
まぎわ、なにか嫌な言葉を聞いたような気がする。
「よっしゃ! 助手ちゃんはこのまま死ぬか?」
倒れたヴィクターのほうから顔を上げて、軽口をたたくホロコーストの拳銃がこちらを向いた。いやに上機嫌だ。
自分のほうでは、覚えずヴィクターのほうへ銃を向けていた。
「殺してやったらいいじゃありませんか」
まだ脳は沸騰したままらしかった。自覚と同時に、相手もそれをさとったらしく。冗談に乗ってこないとわかるとさもつまらないといった顔で銃をしまった。
「助手ちゃん、殺せるもんなら俺はとっくにソイツを殺ってる。言ったろ? ソイツが死――」
背後から彼にかぶりつこうとしていたゾンビの頭をぶち抜く銃声の合間に、
なにか嫌な言葉を、聞いたような気はする。
ぶつぶつと頭の中で何か切れる音がうるさくて、たぶん排熱孔から出ていけなかったぶんの熱が悪さをしてたんだろう。
「こん……なに最低の気分は久しぶりです」
結局、ヴィクターを殺す義理は自分には無いのだ。ホロコーストがやめたんだから。
「ひとつだけフォローとしては、何度も殴られると俺は流石に痛くて死にたくなるんだけどナ。探偵にも試してみたら?」
今すぐお前で試してやろうか、という返答を飲み込んでうなずく。効いたらもうけもの。本当にその通りだ。
「一応もう少し奥もさがしとく? とおせんぼもなくなったことだし」
彼が顎で指し示す死体袋の合間に、まだ扉があることに気が付いた。暗がりで見落としていたらしい。ヴィクターの話では帰った、ということだったが。
「そうさせていただきましょう。多少荒らしたって文句はないでしょうし」
第一、床も天井もゾンビの肉片やら血やらでどろどろだった。そこに平然と座ってあくびなんかしているホロコーストもたいがいに図太い。
大股に奥の扉を抜け、死に損なったネクロソーマ詰めのガラスケース群の間を歩く。来るときみたいに叩き割ったらこの中の一つくらいはあの探偵なんだろうか。それも視野に入れなきゃならない。
ぶつぶつと頭の中がうるさかった。
狭い通路を抜けると、ゾンビがやたら集っている箇所がある。かっとなってそれを全部動かなくなるまで撃ってしまうと、残ったのは瓦礫に引っかかるようにして座り込んでいる探偵一人だ。
鉄くずに内蔵が絡まって動けなくなっているらしかった。これでゾンビに喰われたあとがあるんだから世話ないというやつだ。
「お、早かったねー。いやー、再生まきこんじゃって」
「事件の解決はどうしたんですか。早かったって? まさか来るのがわかっててあんなものを送りつけたんですか」
側頭部に突きつけた銃口に動じるでもなく、相手はいつもするようにこちらを見て笑う。
「来るなっていったら来るでしょ? こっちのは、これからどうしようかなあ、と思ってたとこ、ん、どうしたの?」
仕込み銃をしまって、そのまま掴んだ腕を力任せに引っ張り上げる。聞くにたえない音をさせて鉄くずは絡まった腸を破り肉を裂いて彼の胴体へ潜り込み、背中側から出て行く。
小さくうめいて身じろぎする身体をすっかりそこから引きはがす間に、傷はあらかた埋まってしまった。
「さんきゅー、助かった!
そういえば会った? ヴィクターさん。なかなかおもしろい考えだよねー」
「ええ。もう二度とお目にかかりたくありませんね」
「そう? 興味はあったんだよなー。どうして自分が動いてるのかってのには」
ぼろぼろのシャツを形だけ整えながら世間話のように言う。
「『どうして自分は生きているのか』なんて、思春期の子供が一度は通る人生の命題だろ?
もちろんそれには『楽しく遊ぶため』と答えるけどね」
どこまで本音だかわからない調子で講釈をたれる。なんのため、なら自分にだってある。どうにもならない命題が。
なんだっけ、ホロコーストの言っていた――
「自分が死ぬことを考えたことはないんでしょうね。死にたくない、とも?」
口をついて出た問いに、探偵は数瞬考えて、「そうだなー、人生で一度限りの体験だと思ってたから」
心底楽しそうに笑う。あの子供じみた邪気の無い笑顔が見上げていた。
「こんなに何度も体験できるなんて、ラッキーだな」
「俺が動き続けてるのは、俺が生きてえって思ってるだけで、」
「俺が死にてえって思った瞬間、俺は死ぬんだよ」
頭の中でうるさかった音が止んだ。
数回探偵の頭を撃ち抜いて、銃口は弾を装填するでもなく下を向いた。
「どうしたの?」
「どうも、こうも」
失笑して、「帰らないんですか。もう用は済んだでしょう」ホロコーストも待たせるとうるさいし。
「そうだ! 帰ったら何食べたい? ちゃんと食事とかしてたー?」
無遠慮に頭を撫でてくる手をおしのけて、むずがゆい口元を無理矢理への字にまげてみせる。
探偵は私がおしのけた手を眺めてから、ふとこちらを見上げた。
「なにか、悪いものでも食べた?」
「なんです、それ」
言いがかりだ。
「ん、まあ、いいけどねー」
連れて戻ると、ホロコーストはなんだか拍子抜けしたような変な顔をしていた。誰に聞かせるでもない探偵の講釈に適当なあいづちをうちながら、帰り道を歩く。
……と、思ったのだ。
……ああ。もう。いいか。
この男を殺すまでかたくなに私であることを放棄していた私は、それっきり目を閉じて、考えることをやめてしまったらしい。
***
起きると三日経っていた。何に疲れたんだか、何度か目をさました記憶はある。仕事の連絡が入っていた。数分前のものなので、話しを聞きに行くなら今からでも問題はない。
遠くに雨の音を聞きながら外へ出る。
今日は蒸し暑い。
一番騒がしい通りをすぎて歩く。勝手知ったる事務所の戸をくぐるとちょうどテーブルに昼食を並べ終えた探偵が振り返った。私が寝ていた三日間、毎日こうして二人分作っては自分で処理していたのだろうか。
「あ、おかえりー。来るころかなって思ってたよ」
「ここに住んでるつもりはありませんが」
背負ったライフルを妙に重たく感じた。彼の顔があんまりいつもと変わらないからかもしれない。
「えー、似たようなもんじゃん。ちゃんと食事と睡眠とってた?」
「寝てました」
「食べなさい」
椅子の背をたたきながらしかめつらしくしてみせる彼に、仕方ありませんねと肩を落として席に着く。すぐに背を向けて台所へ向かうニルギリの背にやや自分でも不機嫌とわかる調子で、声をかけた。
「仕事の話はどうしたんですか」
「あ、それねー。食べながらでもできるでしょ」
「行儀が悪いですよ」
水を飲みほしてから文句を言う。そういえばのどが乾いていた。
「こないだ調子悪そうだったからねー。実は来ないかなー思ってたけど」
「来ますよ」
「うん……ん?」
「私があなたを殺せないのに、どうして他の奴に取られる愚を犯せますか」
「なるほど、たしかに。誰が俺を殺すかは、七年経つ前にわかるかな?」
そんな戯れ言に自然、笑みがこぼれた。
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