白雪事変
目を覚ましたときには正午をすぎていた。
おそらく疲れ果てて仮眠室でそのまま寝てしまったのだろう。いつもはしっかり朝食を用意して起こしにくる手も声もなかったのを不思議に思いながら身体を起こす。腕は使い果たした弾丸のぶんだけ昨夜よりも軽い。身体の内側に氷でも詰まっているみたいに冷たい。
今日は寒い。
半開きの扉からダイニングへ向かうと、ぶちまけられた血と肉片も片づけず、上半身をミンチにされた死体が転がっている。昨晩の様相そのままに。
昨日はなにを言われてこんなにしたんだっけ。
なんでこのままになっているのだろう。
外は二日前から降り続けた雪が深く積もって、まぶしいほどである。曇った窓にブラインドをおろす。記録的な大雪だとかニュースになっている。
まだ寝起きのままで頭にはかすみがかかったようになっていた。顔を洗って戻ると、ぴしゃりと水の音をさせて、カーペットの上でつま先が少し滑った。短い起毛は血を吸ってどす黒く膨張し、骨に絡まった薄い肉が破れかぶれに転々と転がる。見下ろすと、探偵が死んでいた。
今までの苦労はどうしたんだってくらい、あっけなく。
▽一日目。
「ネームレス。頼まれごとをしないか」
ノーフェイスからの連絡で我に返る。
はたと外を見るとまだ真っ白で、時間を見ると恐ろしいことにぼうっとして丸一日がすぎていた。
「なんでしょうか」
動揺を隠して応じる。相手は何を思ったんだか少し間をあけて、「人探しだ。探偵にどういうわけか連絡がつかなくてな」
そうでしょうね。足下に散らばった残骸を眺めて空寒い気持ちになる。寒い。暖房もつけずに一日中ここで立ち尽くしていたのだから当たり前と言えば当たり前だった。
「人探し? こんな寒い日にですか」
「暑さや寒さを気にするたちだとは思わなかったがな。迷子の捜索だよ。探偵ものにありがちな」
送りつけられたのはまっすぐな黒髪を肩の上で切りそろえた、真っ白な肌の少女の写真だ。昨晩未明にふらりと行方をくらましたらしい。上流の箱入り娘だとはノーフェイスの言。
「ちょっとしたコネでしばらくは引き受けてたんだが最近多くてな。かまけてたら別の仕事ができないからほかに任せようと思ったわけだ」
「なるほど。あの男なら文句も言わないでしょうしね」
「そういうことだ」
報酬の話もそこそこに切り上げた会話の後、死体を一瞥して事務所を出る。彼が死んだのならもう用はなかった。
笑い声のひとつもあげられないのだから不思議だった。
彼女の行きそうな場所はあらかた把握しているというので、ありがたく情報だけもらって雪の街を歩く。どこでも子供の姿が多い。雪に足を取られながら、雪玉を投げ合って走り回っていた。
実を言えば、少し驚いていた。
雪を見たのはここに来て三度目くらいになるけども、地面に溜まるものだとは思わなかった。
送られた地図を淡々と回る作業の三か所目で、捜し物は見つかった。よく訪れるという公園の隅に倒れていた。
黒い髪が雪の中に埋もれて斑に白く、肌は写真で見るよりやや青い。細い首に絡まった紐が死因のようで、身体はすでにがちがちに固まっていた。
「まあ、いいだろう。どちらにせよ生死は問題じゃない」
捜し物を回収しにきたノーフェイスはなんでもないように彼女を抱えて、ふと周りを見回した。
「探偵はどうしたんだ?」
「死にましたよ」
「ほう。割にうれしそうじゃないな」
それにつられたように、にっと口角があがる。思い出したみたいに笑った。
「そう見えますか?」
「いいや」
気をつけて帰れよ、などとらしくもない言葉を投げかけて彼はさっさと歩き出した。残る足跡を眺めて、こんなんじゃスパイの仕事もやりにくかろうな、そう思った。
▽五日目。
黒電話のけたたましいベルの音にたたき起こされた。出て行くと相変わらず探偵の残骸が転がっている。飛び散った血も肉もさっき死んだみたいに真新しい。
何をしにきたんだったかは覚えていない。頭も腕も重たかった。仕込み銃にもライフルにもしっかり弾をこめているあたり、たしかに用があって来たんだとは思うけど。記憶力はそんなに悪くないはずだが、どうしてここに通ってきてるのだか。
ノーフェイスからの連絡で我に返る。
四日前と同じ内容の依頼だった。
「迷子さがしのバイトでも始めたんですか」
「そう言ってくれるな。最近多いんだと言ったろう」
子供さがしである。
雪はあれからも深々と降り続けていて、とうとう膝下まで覆うほどになっていた。殺人の件数が増えているらしい。なんでも積もった雪はよく音を吸うんだとか。
その辺通常営業のストリートでは、いまいち実感がわかないのが現実だが。
こう白いとまぶしくて目がつぶれそうだ。
捜し物を見つけたのは、彼女がよく行くカフェの裏手だった。額を撃たれて死んでいて、足下に小さな銃が転がっていた。まっすぐな黒髪は、血が絡まって固まっている。雪がへこんでいるのに気が付かなければ見つけられないところであった。
ノーフェイスは問題ないというが、二回も続けて死体では、こちらの気が滅入ってくる。
▽六日目。
全く変わらない調子で探偵の残骸は床に散らばっている。雪は昨晩からようやく雨に変わって、窓の外でじわじわ汚れてくぼんでいく白が痛々しい。
そもそも、この男の死ほど信用のおけないものはなかった。
以前だってこんなことがあった。殺されているかと思えばどこそこへ行けと指示書のようなものを残していて、身体のパーツを集めさせられたり。自分の解体中の様子を動画にして送ってきたかと思えば、まったく関係ないところで身体の再生に失敗して立ち往生していたり。
今回だって似たり寄ったりのケースに違いないとどこかで思えてしまう。損な性格だ。このまま大喜びでこんな男のことは忘れてしまったらいいのに。このまま、
何の後悔もなく。
「なんで生き返らないんですか」と、とんでもない言葉が転がり出ていた。
「なにをこんな簡単に死んでるんですか、簡単に死んでいいとでも思ってるんですか。どうせ後悔も反省もなく軽く死ぬんだったらもっと、もっともっともっと」
雨がひどくてよかった。
ノーフェイスからの連絡で我に返る。
「取り込み中だったか」
「いいえ。また迷子捜しじゃないでしょうね?」
「話が早くて助かる」
捜し物を見つけるのは難しくなかった。時々ママにないしょで訪れるバーの隅で、服毒死した少女がカウンターに頭を預けていた。
マスターは真っ青で毒を盛ったりなんかしてないと言うし、ノーフェイスもそれに異をとなえるでもなく、死体を抱え上げてとっととそこを出て行くのだった。
「こんなお使いならそちらの相棒にやってもらえばいいじゃないですか」
いいかげんううんざりしていた。死体をただ回収するだけなんて、喧嘩の種にもならない。
この男もだ。挑発してみたとこで、たぶん乗ってはこないだろうし。
「うちのも、最近死んでしまってね」
生き返ってこないんだ。
耳を疑うようなセリフを残して、ノーフェイスは行ってしまった。雨で凍り付いた雪の上に足跡は残らなかった。
浮かれたクリスマスムードがストリートの色合いを変えていることに気付いて、あのときどんな理由で彼を殺したのかを思い出した。
▽十日目。
蒸し暑さで目を覚ました。雨で気温が上がったのか、よく理屈は知らない。こわばった肩をベッドの上でできるだけのばして、身体を起こすと窓は結露で白のストライプになっていた。
雨と風の音に紛れて空調の音が耳に届く。
何事か仮眠室の外でも金属や水の音。大股にそちらへ出て行くと、
「あ、おはよう。今日早かったね?」
何事もなかったように朝食の用意をしている探偵の姿があった。
思わず掴みかかった、と思うと足がもつれて自分ごと床に引き倒す形になる。
「な……! ……!」
「大丈夫ー? 真っ青だけど。あ、というかまた何も食べてないでしょ、動けなくなるからちゃんと食事はしないと」
どうにか半身を起こして銃を突きつける。
「もしかしてまだ怒ってる? クリスマスプレゼント」
「うるさい!」
「すごい剣幕だったねー。今もだけど? 上半身部屋中に飛び散ってるからさすがに治るのちょっとかかったよ」
「ちょっと? かかった? 何日死んでいたかご存じですか?」
「え、そんなに? 何日?」
バカ正直に答えた自分も自分だ。十日、と何か考える素振りをみせ、得心がいったように手をたたく。それから、笑顔でこちらをまっすぐに見上げた。
「それで、嬉しかった?」
撃ち殺した。
クリスマスプレゼントは何がいい? などとふざけたことを抜かしたので、「死んでください」といつも通りに返した。探偵は少し考えて、「よし、じゃあ死のう」と笑ったのである。
それで死んだら今までの苦労なんか無い。
雪のせいで歩けば足が滑ることも、こいつが殺しても死なないことも、冷たくて義手を動かすのがおっくうなのも、全部にとにかくいらついていた。
そんなことで死ねるんだったら今すぐ死ね、とこれもまたいつも言う罵倒を重ねてミンチになるまで撃った。全身がつぶれるよりも、生憎と弾切れのほうが早かった。
***
空腹と激昂がたたって動けなくなった助手を仮眠室に運ぶのも、ニルギリには一苦労である。
朝食もできたところだったが、彼女のぶんは、のどを通らないようなら作り直さなくてはならないかもしれない。
血で汚れた服を着替えてダイニングへ向かう途中、ノーフェイスからの通信が入った。
「やあ、ひさしぶりー」
「なんだ。死んだと聞いたがな」
「最近風邪で調子悪かったみたいでさー」
「なるほど。まあいい。依頼があるんだが」
「お、なに? お聞きしましょう」
内容はこうだった。
知り合いに一人娘を持つ上流の夫婦が居るが、一度娘を誘拐されて殺された。どういうわけかネクロソーマとしてよみがえったものの、それ以来、彼女はことあるごとに死のうとするという。
「ただ……」
「死ねなくて困ってるって話?」
「いや。どんな死に方をしても『見栄えが悪い』と不満顔で起きあがってくるらしい。それで、いっそ自殺を思いとどまらせてくれと言われてな」
なるほどこの探偵向きの案件であった。
ここ数日降り続いた雪による寒さでネクロソーマやゾンビは活動が鈍っていたようだが、それもそろそろ終わるころだ。これ以上活発に自殺を繰り返されては依頼人の家の外聞にも関わる。
「ネームレスに頼もうとも思ったが、理由を説明したらミンチにして埋めかねない目をしていたからな」
仮眠室の扉が内側から開いた。
目の据わった助手が、
「回線、開きっぱなしですよ」
片手にぶら下げていたライフルの銃床でこめかみをたたいてみせるのだった。
そこからのひと騒ぎはまた別の話である。
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