水に流す話


「ねえねえ、そこあいてる? 座っていい?」
「どうぞ」
「あっ、女の人? まいっか、いいや、あっおじさん! いちばんきついのちょうだい! 一番よ、一番!」
「女だと不都合でしたか?」
「あっ、あははー、男だったらべったり甘えて持ち帰られてやろうと思ってただけ。気にしないでよー、あ、でも気を悪くしたよねごめんね?」
「いいえ、別に。こちらも慣れないことしている口なので」
「あ、へえー。見た目によらず真面目ちゃん? あ、というか目大きいね?」
「……あなた、何軒目です?」
「ナンパに失敗したのでー、いま三軒目です!」
「水を」
「クールね。いいわ、お詫びに水くらい飲んであげる、感謝することね」
「ありがとうございます。いい飲みっぷりです(水だけど)。もう一杯いかがですか(水だけど)」
「いただくわ!」

「きいて……ひどい目にあったの」
「はあ」
「あのね。あたし結婚は早ければ早い方がいいって思ったの。思うでしょ?」
「はあ」
「それでね、そりゃーもう毎日のように迫ってたの。彼に。お互い仕事だってしてるしさ、なんの問題もないでしょって、そしたらね! そしたらねえ!!」
「聞いてますからテーブルを殴らないで。ええ。そしたら?」
「浮気してたのよ!! あの野郎!!」
「万死に値しますね」
「気が合うわね」
「それでやけ酒ついでにナンパなんてしてたんですか?」
「その通りよ、恐れ入った?」
「恐れ入りました。いっそ殺すくらいのほうが良いのでは?」
「そうねえ……それもいいね」
「どうしました」
「ううん。あなたみたいな人にはいないんだろうなーって、こう、目の前にいるだけで頭がかーっとなって、胸がどきどきして、その人以外見えなくなるみたいな。あっ、まってすごい恥ずかしいこと言ってないあたし? 恥ずかしいこと言ってる気がする」
「いますよ」
「ほらねー! えっ」
「目の前にいるだけで頭がかっとなってそいつ以外見えなくなるような男なら」
「えっ、ええ……そうなんだ。意外」
「ええ。今夜も丁度殺してきたところです。どうせ朝にはまた生き返ってるんでしょうけど」
「過激だね。そう、いいな……あたしもいっそ殺しちゃおうかな」
「いいですね。銃なら用立ててあげますよ」
「でもお高いんでしょう?」
「もちろん」
「遠慮しとく。ああ、うん、でもそれくらい好きだったの……ね。なんでこっちがこんな一生懸命相手のことばっか見てるのに、相手はこっち見ててくれないんだろうね」
「そうですね」
「好みの外見だって把握してるし、会うのにだって結構無理して時間取り分けるときとかあるんだよ」
「ええ」
「全部どうでもよかったみたい」
「……ええ」
「そういうとこない? ほんとにさあ、努力かえしてって気分。水に流すって言葉あるじゃない。流せないことだってあるのよ」
「ありますね。なにをしたって相手はこちらを見ないので、ええ。恋人のほうがあるいはマシなのかも」
「片想い、片想いつらいよねえ。しかもぜんぜん意識されてないときとか」
「そのくせなにかと保護者面をする」
「わあ……それ妹とかと勘違いされてない?」
「そうかも……しれません。どんな風に間違えたらそうなるんだか」
「どんな朴念仁なの。それともあなた口に出したり行動にできないタイプ?」
「日常的にしてますけど」
「なんてことなの」
「構いませんよべつに。足りないのでしょう」
「日常的にアプローチしてるのに?」
「彼には相手が何人でもいますから」
「見かけによらずすごい男にひっかかるのね」
「そうでしょうか」

……。

   ***

 未明、細切れになった男性の遺体がマンションの排水管から上がったという。きっちり人ひとり分、衝動的な犯行だったようで犯人はさっさと捕まってしまったらしい。
 添えられた写真を見て一言「流せなかったのか」と率直な感想がもれた。