another.day dream


 悪い夢でも見ているようだ。

1.異邦人

 目をさます。ぐるりと景色がぶれる、一瞬遅れて、自分が勢い上体をはね起こしたと判った。
 勝手が違うのだ。そもそももとの体は上下とか右左とか、複雑にわかれていないのだから。ここがどこだかを思い出すまでにさらに数分をかける。呼吸をするたびにのどがひりついて、動かしてみれば体の末端まで固まってまともに動かないありさまであった。
「しぶといね。まあ運び込まれた理由も笑えるけども」
「はあ……」
「お呼びじゃなかったかい」
「まさか。感謝しています、ドクター」
「それはよかった」
 うそぶく女の背中を眺めながら体のしびれがとれるのを待つ。こういうのも出戻りというのだろうか、まあ今回は使い走りなどせずとも荒稼ぎした貯蓄で治療費は払える。
 まだ本調子でないことを見て取ると、ドクター――ラファイエット女史はいつも通りの淡々とした口振りでここへ運び込まれた経緯を教えてくれた。
 いわく自分は何らかの事由であの男を殴り殺したらしい。いや、そこは覚えている。たしかに頭に血が上って、襟首をつかんで壁にたたきつけて顔面を粉砕し、浴びた返り血の気持ち悪かったこと――「自分の血は猛毒だから触ると死んでしまうけれど、どうやら彼女はデイブレイカーのようだ。よろしく処置してくれというのが先方の言いぐさだ」
「……は?」
「ちょうど仕事帰りだったとかで治療費も支払い済み、私はまたその体をあんた向けに最適化しなおしたところだ。判ったか?」
「判りません」
「どのへんが」
「全部」
 これ以上なく真剣に、混乱しているこちらの態度を見て、彼女はこともなく笑った。
 疑問に対する返答はなにひとつ得られなかった。

2.探偵

 陣取るのは当然のように角の窓際である。外と中の様子が一望できるベストポジション。ロマンの追求はすなわち形から入るものだ。
 ダウンタウンにだって気取ったカフェはある。経営が長続きした試しがないのが難だが、ここはそれでも半年続いてなお客足が途絶えていない。こんな場所を待ち合わせに指定するあたり、相手もなかなかわかっている。そしてそんな依頼人が彼は大好きなのだった。
「どうも、遅れてしまったようだ。道が少しごたついていて」
「そう待ってませんよ。向かいにどうぞ」
 男はニルギリよりも少し上だろうか、こぎれいな身なりはこの場所に示し合わせたようだった。後ろへ撫でつけた髪だけが慣れない様子で跳ねている。寝癖の名残なのかもしれない。
「いかにも。ずいぶん古典的な依頼人さんだ、わざわざ顔を合わせて話をしたいとは!」
 大喜びで応じてくれた手合いもあなたくらいのものですが、と男は苦笑いでそれを受け流す。
「改めて、初めまして。ケヴィン・マリエットです。事前にお送りした通り、依頼内容は人探し。探してほしいのは、僕の親友です」
 詳細は以下の通りである。
 時はさかのぼること半年。
 彼の親友、ニコル・ベリヤはデイブレイカーであった。きちんと登録された、企業お抱えの研究者だ。半年前、メガ・コーポの下請けで行った空間転移実験の責任者として立ち会ってからこちら、行方不明になっている。
 メガ・コーポ側の思惑は人間の暮らせる新たな宙域の模索、すなわちそれを可能にするワープホールの作成であった。観測所だけでももうけられれば万々歳、実験は失敗に終わったものの実験場は幸いにして荒野の片隅、打ち捨てられたコミューンの跡地だ。こんな場所に近づく馬鹿者はいない。たとえなにか大事な捜し物があるとしても、だ。
 たいていは、自分の命と比べてあきらめてしまうものである。
 それで――
「依頼人氏はあきらめきれずに、人を頼ることになさったと」
「恥ずかしながら」
 荒野かあ、ニルギリは考え込み、ふとある記憶に行き当たった。
「半年前のワープホール試運転って俺いかなかったっけ?」
 その独語を聞いたか、ふと目の前の男は笑ってうなずいた。
「参加した方で、無事だった手合いを捜して一人一人あたっていたもので。こうやって顔を合わせる機会を作ったのも、情報に間違いがないか確かめたかったのです。気を悪くされましたか」
「いいやぜんぜん! むしろ是非受けたくなったところで!」
 それを承諾と受け取ったのか、ケヴィンはほっと胸をなで下ろし、前金を渡して立ち去った。去り際、呼び止めて「あなたは参加してなかったようですね?」と確認をとると、苦虫を噛み潰したような顔でうなずくのだった。
 手にした前金の額をあらためてみる。個人の口座から出たのなら大金である。これに後金でさらに上乗せするというのだからよほど気合いの入った捜し物なのだ。
「それにしたって」
 封筒で顔を仰ぎながら、窓外の喧噪を眺めやる。
「試運転ねえ」

3.異邦人

 とはいえ、仕事ができる体調ではない。そこでベッドを占領しているつもりか、と文句を言われるまでもなく、自然できる範囲で雑用をこなすことになった。
 滞在の費用ばかりは自分持ちかとため息をついていた折り、ドクターに呼び止められた。
 散らばった資料の整理にいそしんでいた手を止めて振り返ると、胸に白い布の塊を抱えたドクターが手招いている。
「何か」
「貰い物だ。面倒みておいて」
「はあ……あ?」
 押しつけられた塊はいやになま暖かく、ずしりと重たい。これは人間のこどもじゃあないのか。
「説明をしていただいても?」
「客がドローン遊びをしているときに拾ったんだそうだ。実験やらに使えるんじゃないかとよこしてきたけど扱いは保留」
「妙な外見じゃありませんか」
「それが原因でこっちによこしたんだろうさ」
 自分の外見も負けず劣らずと思われるだろうが、これは元の皮膚をつぎはぎで使っているからだ。
 つるりとしたやわらかい頬、ふくよかな手足、表面が石のようにがちがちに固まった首の裏側と右肩、背中の右半分。人間の赤子(よりは少しばかり成長している、乳児という単語は後からドクターに教えてもらった)と石の間の子のような外見。それもなんだか弱っているように見えるが。
「ふつうの食べ物を食べますかね」
「さあ。本棚のそこらへん漁ってみな、たしかそのくらいの子どもに食べさせる料理書いてあったから」
「作れと」
「いい経験じゃないか」
 冗談じゃない。子どもの扱いなんて、同族のだってよくわからないっていうのに。
 わきを抱え上げて、背中の変異をよくよく見てみることにする。石の表面。中から突き出ているでも表に張り付いているでもなく、自然に体の一部としてついている。
 なにより興味をひいたのは「これ、見覚えがあります」
「そうだろう。私もあんたの身につけてた装甲を調べようと思ってたところだよ」
 そう。自分の持ち物に親しみを覚えるように、この子どもに張り付いた石に、親しみを感じたのだ。同時に――
 子どもを、ベッドに降ろす。ぐったりとして動かない、砂袋でも相手にしているような気分だ。
「外に出てきます。買いものがあればついでに行ってきますよ」
 ドクターはにべもなく手を振って追い出す仕草。ありがたいことだ。彼女がこちらを見ないのを良いことに早足で外へ出ると、夜風の冷たさでいくらかましな気分になった。
 いやな、
 いやなことを思い出していた。胸焼けがする。

4.探偵

 愉快なことを思い出していた。
 半年前。彼が参加したそれはたしか、旅行用に作られた宇宙船の試運転だ。たまたま上流でおもしろい催しがないかアンテナを張っていたところうまく引っかかったものであった。
 裏があろうが乗っからない手はない。参加すれば一応ツアー扱いで並の旅行くらいの待遇は保証されたし、最悪宇宙空間に放り出されてもおまえなら持ち前の悪運でどうにでもするだろうよ、とは王太元の言である。星の海を生身で遊泳する機会なんてそうあるまい。
 そんなわけで、ニルギリはちょっとだけ休暇をとって、そのテストに参加することにした。規定人数まで集まらなかったようで、快く迎え入れられたのは言うまでもない。
 思えば、宇宙船の試運転も嘘ではなかったのだろう。実際行き先は間違いなく別な宙域だったわけだし。ただし、旅行に参加した客にアップタウンの善良な市民や上流の顔なじみは見受けられなかった。
 どういう仕組みだか、ワープホールは正常に作動した。船室の窓の外は、上から下まで見渡す限りの星の海。黒々とした虚空に瞬く光の群はなかなかどうして、一見の価値がある。
 ああ、これで宇宙ならではの食べ物とかあったらなあ!
 残念ながら、食事自体は地上のそれと大してかわりがなかったのだ。せいぜいがところ、味付けが少し濃いくらいのもので。
 ひときわ目立つ乗客がいた。
 最初に会ったのは船内の簡易レストランだ。目立つというのは性別で、つまり珍しく女性がそこにいたわけだ。気分が優れないのか、席を立つのを億劫そうにしていたところに、ニルギリがおせっかいのつもりで手を差し出したのだった。
「ありがとうございます」
 いつもは夫がついているということだが、ちょうど旅行の直前で来られなくなったのだとか。
「それは大変だ、護衛は必要ありませんかミセス?」
「あなたは傭兵かなにか? 探偵さん? 珍しいひとがいるのね」
「今はちょうど休暇中でして」
 冗談口に笑っているところに、不意の衝撃が走った。
 腹部にずしりと響く轟音。テーブルが一方向に流れ始めるのと、倒れかけた女の腕を彼がひっつかんだのが同じ頃合い。それから船内全部に警告音が響き始める。
 揺れは収まっていた。
 船内のアナウンスは乗客に客室への避難を促すものだ。すでに大半の客が体を起こして急ぎ足にレストランを出ていくところであった。
「いやーよかった! 部屋までお送りしましょう」
 彼女の目はじっと外へ向けられていた。
 真っ黒な虚空を裂いて閃光が走り、星とは違うものが不自然に明滅していた。

5.異邦人

 子どもの体と同化した物質は使い慣れた甲殻と同じものだった。つまるところ、この星には存在しないということだ。では彼は同族かといわれれば、こんなグロテスクな同族がいてたまるかというのが私見。
 ドクターだって、この子どもの八割が地球の生き物だと認めている。興が乗ったらしく、その身元を特定する仕事をわざわざ私事として依頼された。
「拾われた場所が場所、荒野の隅っこだ。私じゃ危なくてとても行けない。代わりに追加装備の費用はチャラにしよう」
 以前より体が重たい気はしていたが、やっぱりなにか追加機能をひっつけられていたらしい。まあ、体も満足に動かせるようにはなった。
「いいでしょう。場所は」
「ここだ」
 地図に指定されたポイントを見て、眉間に思いっきりしわをよせた。
「やっぱり断れますか」
「そう言うな。わかってたことだろ」
 それもその通りだ。考えられる可能性もなにもない。自分が落ちてきた場所を改めて調査しろということだった。
「……まあ。なんとでもなるか」
 フィーンドなんて見慣れている。
 見慣れているのと戦い慣れているのはまた別問題だが。
 いやなことを。頭から振り払った。

6.実験場跡地

 ここにたどり着くまでに約二日間、壮大な寄り道を経てそこそこに丈夫な仕立てのスーツもこれで六着目。それもすでにすり切れてひどい有様だ。
 謎のエージェントにつけねらわれる子犬の護衛を承り立ち寄ったのはスターゲートタウンの宗教拠点。エキゾチックかつ冒涜的な晩餐にあずかったと思えばその夜にそこをとりまとめていた老祭司長が殺害された。その事件を皮切りに設立されつつあった地下帝国の陰謀に巻き込まれ、金のにおいをかぎつけたバンデッドたちに追われながら再び子犬をつれて走り回る羽目に。真相は不安定かつ閉鎖的なコミュニティーの内部に権力を持っていた祖父母のつてで祭り上げられ、たった一匹の家族と引き離された少女のはかない再会への望みであったがそれはまた別の話。
 ともあれ、幼い宗教指導者が報酬として開いた地下通路を抜けて、なんとかやっとこここへ至ったというわけだ。
 場所がわかっているのなら、まずは実地調査。どうせネットで調べられる程度の情報は依頼人のほうだって集めていることだろう。つまり、どうしてもこの場所で調べなければならないことがあるのだ。ニルギリがこの実験場跡地を目指したのはそういうわけであった。
 開けた空の下には、かさかさに乾ききった廃墟がある。半年前までは無人とはいえ町の形を保っていたものだが、それもあの戦闘のごたごたで見る影もない。
 実験が失敗する原因になったのは、その宙域における予定外のフィーンドの襲撃。小惑星に不時着したものの、果てのない荒野には空気も重力もなく、ただ海の底に似た果てのない暗闇だけがあった。
 そういえば、ここの景色はすこしそれに似ている。
 それで、今こんな場所で、半年前の事故の被害者を探せという。
 あるいは「死体でも見なければ納得できない、したくない」そんなどこにでもある理由なのかもしれない。
「僕には、ニコルと共有できるものは何一つなかった」
 ケヴィンの言葉が頭をよぎる。
「デイブレイクも、金も、才能も。ただ、同じ分野で働いて、自分なりにその夢を支援できると思っていた」
 破壊し尽くされたその廃墟を眺め、
「ワープホールってどのあたりだったっけ?」
 まずはそれを思い出すところからだ。

   ***

 大型二輪の便利なところは、多少険しい道も無理に踏破できるところだ。おかげでプルガトリオ・エリアを出てここまではほとんどまっすぐに走ってくればよかった。
 瓦礫を踏み割って停車する。町の残骸はがらんとしていた。はずだった。
「だれだ?」
 風除けもかねてナビを表示していたゴーグルの向こうで、思わず目をすがめた。画面はミュータントでもフィーンドでもない、なにがしかの生き物の反応を示している。
 こんなところをうろついている馬鹿者は。
 少なくとも目に見える範囲に、人影はない。
 ゴーグルを上げて曇った空を見上げる。広い空を見ると、また肺の使い方を忘れそうになる。
 不完全なワープホールは、あの男を非常用の隔壁から中へたたき込んだ勢いで一緒に滑り込んでしまった自分ごと宇宙船をこの場所へ転移させた。
 転倒した鉄の塊もワープホールの座標も、砕けて廃墟の一部と化している。フィーンドがうろつくようになったのでコーポも回収に手間取っているのだろう。
 ひときわにぎやかな瓦礫の山へ踏み込む。
 壊れた隔壁は上にある。ヴィークルから武器だけを取って背負うと、ひっくり帰った船の側面をよじ登って中を確認する。見下ろす廊下は一直線の縦穴、左右に窓やら隔壁やらのでっぱりがある。となれば迷う必要もない。手早く入り口にワイヤーロープをくくりつけて飛び降りることにした。

   ***

「……と」
 ぐらりと船内が大きく揺れた。
 ニルギリは目当てのものを回収すると、入り口をかえりみた。彼は、横向きになった船室の壁に立っていた。このまま天井のライトと空調用の穴に手足をかけて上っていけばとりあえず廊下に戻れそうだ。暗い室内の風景は、自分の姿も含めてまるでだまし絵のよう。
 回収したカプセルと電子メモをしっかり懐に持って、床に手をつく。揺れはさらに大きくなった。
「む」
 上を見上げる。同時に、降ってきた爪に体の前半分をざっくりとこそぎ取られた。臓腑をえぐり取って壁に散らし、その場にうずくまるように着地する巨大な影。体を起こしたニルギリは荷物が無事なのを確認して、目の前でうなるバイオモンスターを眺めた。
 このままでは依頼人にものを届けないままここで立ち往生する羽目になってしまう。いやまあ。よっぽどじゃないかぎり往生はしないだろうが。
 甲高い声が鋭い牙の間から漏れ出していた。そいつが男に飛びかかる刹那、
「下がってください」
 と上から声がしたので、反射的にそこを退いた。
 目を潰さんばかりの閃光。次いで爆発と風で、言われるまでもなく吹っ飛んで天井すれすれまで後退していた。光に潰された目が元に戻ったのと時を同じくして、入り口から見下ろしていた誰かさんはそこから室内へ飛びおりてくる。
 すらりとした長身の、青年、いや。
 見覚えのある姿形である。それは相手のほうも同じようだった。
「げ」
 っといわんばかりに眉間にしわをよせ、
「今げって言った?」
 ニルギリの問いかけにいよいよ眉間のしわを深くして、彼女は一歩後ろへ下がった。先にバイオモンスターを屠ったものであろうフリージングガンは彼に向けられている。
「やあ! ありがとう助かった。また会えてうれしいよ! 無事だったようでなによりだ」
「寄るな。くそっ、こんなことなら助けなかった」
 あからさまに不機嫌になる相手。じりじりと後退して、ニルギリの背後を見るとさらに顔をゆがめた。天井はそちらがわで、ここを出るにあたってはどうしてもそこを通らなければならないからだ。
「あれ、嫌われてる? 俺なんかしたっけ?」
 親しげな笑みを絶やさない男と対照的に、女の顔面はするすると温度をなくしていく。へたをすると顔半分を占領する大きな黒目ばかりの目。それが、冷たく半円形に細められてニルギリをにらんでいた。
「あ、待った」
 言うまでもなく、二発目は彼の半身を吹き飛ばした。再生する体を見て再び引き金に掛かった指を止めたのは「残弾あとどれだけある?」という、冷静な指摘の声だった。
 再生していく脊椎から目をそらし、彼女はなお銃口を彼に向けたまま。
「そいつを何回撃ったら俺が死ぬかわかる? わからないならさっきのような相手のために残しておいたほうが賢明だと思うけど?」
「おっしゃる通りです」
 相づちはもっと大きな音にかき消された。彼女は転がっていたドロイドの頭を持ち上げ、床へ投げつけてたたき壊すことで妥協したようであった。
「ご無事でなによりです。用事がありますので」
 未だ険のある声色で慇懃に言い捨てた彼女は、とっととニルギリの横を抜けて照明に手をかけた。
「あれ、急ぎの用でも」
「命拾いしたなと言ってるんです。それ以上話しかけないでください、残弾全部使い捨ててでも殺すぞ」
「うわすごいな。ほんとにほぼ初対面だと思うんだけどー」
 返事もなく、軽々と天井を這い上って出て行く女を見送る。彼はしばらく腕組みして入り口を眺めていたが、ややあって自分もその部屋を出ることにした。

「どうしてこんな」
 ……こんな、よりにもよってここで。
 彼女はきりきりと痛むわき腹を押さえ込んで、大きく息をついた。大皿に盛りつけられた料理なんて思い出していてはとても冷静でいられない。仕事中は仕事を優先すべきだ。ようよう自分に言い聞かせたところに「君は何の用事で?」
 ……。
「俺はちょうど自分の仕事半分くらい終わったところだけどさ、よかったら手伝うよー。助けてもらったお礼もかねて」
 部屋の入り口に体半分で引っかかるようにしてそんなことをのたまう男。彼が見れば、相手はワイヤーロープに体をあずけて顔を覆い、ぐったりと壁にもたれている。
「大丈夫? もしかして具合が」
 言いかけた彼の前で、女のつかんだワイヤーロープが軋んだ。顔を上げて隔壁を見上げたニルギリの肩を、次の瞬間に彼女の足がしたたか蹴り飛ばしていた。
 少なくとも、これで一度墜落死する。部屋から出てくるのにもっと時間がかかるだろうという見立てのもと、彼女は早いとこ船内の探索を終わらせる決意をした。今すぐミンチにしてしまいたいところだが、そんなことをしてミュータントやバイオモンスターを相手にする武器がなくなるなんて間が抜けたことはしたくない。

   ***

 成果はひとつだけ。それも成果と言っていいものやら、ともかく彼女は一度地上に戻ることにした。廊下を見回してもあの男の姿はなく、実のところ後悔と安心が半々であった。
 ここで殺せたかもしれない、あるいはどうせここでは殺せないのだから出て行ってくれて清々した。
 ここであの子どもの身元を証明するようなものは見つけられなかった。乗員と乗客のIDだけは抜いてきたが、役に立つかといわれれば怪しい。IDに遺伝子情報が含まれれば別だが、それも何割が本人のものだかわからない。
 ともあれ、今日の調査はここまでだ。
 隔壁から出て、ワイヤーロープをはずす。時刻は夕暮れ時、空は雲のスクリーンを真っ赤に染めて彼女に覆い被さる。
 夕空を見返すのは虚空に瞬く星の海、たったひとつ彼女が持つ生身の体であった。
 ドクター、ラファイエットはそれをして彼女を「Nameless NeburaN.N」と呼ぶことにした。彼女も、それを気に入ってそう呼ばれることにしている。
 地上から星空が見えることはまれだ。この荒野なら別かもしれないが、ダウンタウンから見える夜空というのは、地上の明かりで赤や黄色のベールをかけられてくすんだ紺色ばかりだ。
 影がかかる。
「思い出した! その目だ!」
「――」
 飛び退こうとした体が大きく傾いだ。そのだんになって、あえぐようにのどを冷たい空気が通り抜ける。息をしていなかったのだと気づくのと、宇宙船の側面を転がり落ちるのは同時であり――
 それをあわやのところでニルギリの手がつかんで引き留めた。かと思われた。視界はそのまま反転し、滑るように流れていく。船の側面から目をそらせばコンクリートの地面がせり上がってくる。
「あー」
 直立の状態から安定しない足場でそんなことをすれば足を滑らせて落下するのは道理だ。受け身と慣性制御を使って地面に転がったNNの隣、ぱん、と皿でも割るような気軽さで骨の砕ける音が響いた。
 立ち上がる。NNはまたバランスを崩して船に肩を預けるはめになった。右足が膝の下から妙な曲がりかたをしているのを見て舌打ちする。彼女の前で、男はこともなげに起きあがってシャツのよごれをはたき落としていた。落とせる汚れにも限度があるわけで、血塗れの外見にはなんの効果もないのだが。
「なん、なん、なんで……ここに……この……」
「いや、手伝うって言いっぱなしで落ちちゃったからさ。怪我ない? 俺もちょうど気になることが、あー、いいの?」
 言い終わるより前に、フリージングガンの銃口が連続で閃光を打ち込む。執拗に頭を撃ち、再生しかけるのを見ては今度こそとどめとばかりに弾をこめなおして引き金を引く。反動で後ろへ倒れた体を気にもとめず、NNはその場に座ったまま文字通り弾をすべて使い切るまでニルギリの頭を撃った。撃つたびに反射で手足が跳ねる様は悪い夢でも見ているかのようだった。
 再生しようとする肉や骨の蠢動をえぐり地面を穿つ衝撃が不意に、止まる。銃が手から滑り落ちた。
 前にのめるように手をついて、荒く息をつく。
 それだけ一心不乱に撃たれた男はといえば。彼女が息荒くうずくまっている間にすっかり直った頭を揺らして耳から血を抜きながら、次の着替えについて考えていた。
 どっさりと倒れる音を聞いた彼が見下ろすと、彼女は糸が切れたようにそこに倒れて動かない。触ってみれば熱したフライパンもかくやという高熱。
「ショートしてる……? かんじ……?」
 困惑気味につぶやく。確認をとってみたかったが、これでは会話にならない。それはそれとして。
「そんなに俺に恨みがあった?」
 無意識の反応が指先に出るのを見ると、ニルギリは彼女が冷めるまで家に置いておくことにした。

7.探偵

 ハンバーグを作ろうと思い至ったのは、彼女を事務所の仮眠室に寝かせて人心地ついた後。ここに来るまでには体表の熱もあらかた抜けていて、ベッドに寝かせても燃えたり溶けたりする心配はなかった。
 補助電脳が玄関のセキュリティーにアクセスする。留守中に来客があったことだけを確認してシャワーをすませるともう十九時をまわっていた。
 食べるのも道楽なら作るのも道楽である。エプロンを取ると台所の照明をつけてフリーザーの戸を開く。
 業務用フリーザーの使い勝手は見ての通り。暇なとき買い置きした食材を手当たり次第放り込んで、食べたいときに食べられないものはない。食道楽もここまでくれば文句を言う者もいなかった。
 今日はといえば帰ってくるのに時間を食って丸一日なにも食べていない。皿一杯の肉料理を食べよう。そういうわけで、フリーザーの中で霜をまとっていた挽き肉がまず引っ張り出されることになった。
 多めに取り出したたまねぎを無造作に調理台にころがし、依頼人と通話が可能であることを確認すると、手は止めずそちらへも連絡を入れることにした。
「こんばんは。ニルギリ・カタラーナ、ただいま第一次調査を終わらせ戻ってきた次第です」
「あ、こんばんは、どうしたんですこんな時間に?」
「来客記録が残っていたもので。収穫はありましたよ、あ、残念ながらご本人にはお目にかかれませんでしたが」
 すっと息をのむ気配。包丁とまな板を流して蛇口を止めると、一瞬しんと耳が痛くなった。
「ニコルのことで?」
「もちろん。電子メモが張り付けられた空のカプセルが。ご本人の使っていた船室のドロイドがしっかりと持っていてくれましたよー」
「そうですか」
「カプセルの中身はひとまず置いときましょう。で、本題なんですけど」
 規則正しく動かしていた手をとめ、軽く息をつく。
「ニコルさんにお子さんがいるのご存じでした?」
「あ……いいえ。なぜです?」
「回収したメモに我が子へカプセルを遺すって内容がありまして。もう少し調べてみますよ!」
「え、ええ。その、子どもの、行方は?」
 狼狽したふうな男の声に、肩を落とす。
「それがまださっぱり」
「そうでしょうね。報告ありがとうございます」
 それきり、通話はぷつりと途絶えた。本題だ。どうして彼がこんな回りくどい依頼の仕方をしたかはさておき、明日からは子ども探しになるらしい。
「ニコル・ベリヤ、デイブレイカーね」
 そのわりに、気配はミュータントやバイオモンスターのそれに近かった気がするけれど。

8.陸の魚

 目をさます。ぐるりと景色がぶれる、一瞬遅れて、自分が勢い上体をはね起こしたと判った。
 目が回る。体の内側に熱がこもっていた。居心地の悪い熱さ。見覚えのない室内に疑問を抱くより、まずそれが気に障った。
 前後の事情は思い出さないほうがいいと勘が告げている。
 外は暗い。酸性雨はいつもよりひどく降っているようで、町のシルエットも遠くぼやけて見えた。
 明かりのない室内に、外から肉の焼けるにおいと、ことことくぐもった音が流れてくる。誰かしら食事でも作っているのだろう。右足が折れているのを思い出して左膝をたてる。ここが見慣れた闇医者のすみかであれば無理矢理直すこともできるだろうが。あいにくと自分の知る彼女はこんな無駄に寝心地の良さそうなベッドは使わない。
「おーい? 起きてー、夕飯できたから!」
 などという幻聴が聞こえ、あまつさえ「あっ、起きてんじゃん! もう大丈夫?」などと近づいて、いや気のせいじゃない。知ってる。
「なにをしてるんですか」
「なにって? 夕飯、」
「そうでなく。前回といい今回といい、なんなんですか」
「いや、なにって」
 男はきょとと目を丸くしてこちらを眺め、
「助かりそうなら助けるもんじゃない?」
 ふざけたことをぬかした。
 頭の内側から圧迫感。熱源はこれだとさとる。感情的になりすぎて神経がいくつかいかれているらしい。
「で、歩ける? 骨折やねんざはくせになるっていうからな、無理はしないほうがいいぞ」
「問題ありません。ありがとうございました」
「帰るの? 話できるかと思ったんだけど、今冷静っぽいし」
 努めてそう振る舞っているのだというのは、この男には伝わらないらしい。
 応じるつもりもないのでそのまま立ち上がる。ご丁寧に一緒に持ってきてあった銃器を背負いなおし。重心を左におけばどうにか一人でも歩いて移動できそうだ。
「恨まれる側としては」
 動きかけた足が止まる。
「そこまで恨まれる理由くらいは知っておきたいものだし?」
 焼けた肉のにおいがする。
「最初に殴り殺されたときもそうなんだけど、初めて会ったかんじじゃなかったんだよね! だが俺は君と面識はない」
 言いながらきびすを返す。部屋の入り口をその影がふさいだ。
「それからずっとそのへん考えてたんだけど、話を聞いてみようにも会ったらすぐ殺されるし。こんなんじゃまとまらないよねー、で、昨日明るいとこでその目をみてようやく思い出したんだ」
 弾む声。そいつが部屋を一歩出ると、向こうの明かりがちょうど顔に当たった。まぶしさに一度目を閉じる。
「その目にならおぼえがある。ちょうど半年前に食べた魚の目といっしょだ! つまり君はネクロソーマで、食べられたのを怨ん」言い終わらないうちに男の体が宙を舞った。逆鱗だったらしい。と、一瞬のうちに距離を詰めてアッパーを食らわせてから考える。
 逆鱗だったらしい。当たり前だ。押さえ続けたバネがそこに触られてはじけない訳がないのだ。
 考えている間にも落ちてきた男の襟首をつかむなり床にたたきつけて馬乗りに締め上げる。相変わらず危機感のかけらもない顔が見上げていた。
「あれ、違った?」
「いいえ、半分は正解です。おめでとうございます」
 耳元でふつふつと音がする。
「あっ、ご家族」
「違います」
「えー。じゃあなんだろう」
「あなたは私が殺すはずだったものを取ったんだ。事故はあった。戦闘中不時着した船にぶつかって傷を負った。決着をつけるならば一瞬でことたりたでしょう。なにしろ相手はもう動けなかった」
「ああ。なるほど。それは嘆かわしい事故だ。俺もそのときちょうど宇宙っぽいものを食べたかった」
 男は神妙な顔で腕組みしてうなずいた。
 腹の中がきりきりと痛みを訴える。尖ったものを内側からぐりぐり押しつけられているような不快な痛みだった。口もとがへんなふうにつり上がっているのがわかる。
 大皿に盛りつけられた死体がじわじわと頭の中に浮かび上がってくる。まるで今自分の形を思い出したといわんばかりに。
 思い出したらいけない。素手で殴ったらまた先日の二の舞だ。三度もこいつの目の前で倒れたりあげく助けられたりしたくない。
 人の気を知ってか知らずか、男は不意にぱっと目を輝かせた。子どものような邪気のない笑い顔。

「あ、そしたらそれは本物? うれしいな、もう一回見たかったんだ。あのときもちゃんと調理せずに取り分けといたんだけど、帰って二三日したらしわしわになっちゃって。ほんともったいないことしたなー」

 殴った。
 顔が一瞬どこかへ行った気がするし、血を浴びてはいけなかったようなおぼえもある。
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 胴体を引きちぎられてようやく我に返った。

   ***

 体を折り曲げる。ちぎれてはいない。
「あっ…………く、ぁ……」
 ちぎれてはいない。少なくとも表面は。体を起こしてきょとんとしているニルギリにすがるのを嫌って肩をつかんで引きはがし、NNはどうにかそこから離れた。
 頭を内側から殴りつける熱と腹をねじ切るような痛覚の暴力で、ともかく視界を確保するだけの冷静さは取り戻していた。
「毒。そうだった。毒……が」
「そんな即効性じゃないぞ」
 思わず冷静に訂正するニルギリ、自分の顔を見ないようにして立とうとする彼女の腕を引っ張り上げる。逆らわずに立ったNNが体を引きずるように離れるのを特別止めるでもなく。
「送ろうか?」
「結構です」
「夕飯食っていかない?」
「お断りします」
「じゃあ、玄関は向こうだ」
 ニルギリの手が事務所の表玄関を指すと、彼女は迷わずそちらに歩き出した。
 家主もまたそれにゆったりとした足取りでついていく。
「気が向いたらまた殺しにおいで」
 にらまれるのもものともせず、
「今度は魚を用意しておいてあげよう」
 たたきつけるように閉じる扉を見送った。

9.異邦人

 ひどい目に遭った。
 腹部の痛みは結局ストレスだかなんだかで内臓がずたずたになったために起こったものであった。
 それも十分酷いが「フルボーグのくせに感情だけで内臓が壊れるのはさすがにない」とドクターに爆笑され、挙句治療代と排熱孔の取り付けを無料でやられたのも相当に酷い。そんなにおもしろいことだったのか。
「いやそこまでのっぴきならない感情なのが面白い」とはドクターの言。なおさら腑に落ちない。
 持ち帰ったデータで役に立ったものは、乗客の名簿でもIDでもなく、壊れたドロイドから採集した音声データだった。
 持ち帰ったのは単なる思い付きだ。あの船を全部見て回って、ドロイドがあったのはその部屋だけだったのだから。
 弱っているなりに手足をばたつかせてぐずる子どもを抱えているところに、突然それは流れて来た。柔和な女性の声だった。
「歌ですか」
「んー」
 声を出したのは同時だ。子どもが肩口でもぞもぞするのをやめて顔を上げる。その歌に聞き入っているらしいと察せられた。
「子守歌だ」
 ドクターの補足を裏付けるかのように、それまでやたらと抱かれるのも降ろされるのも嫌がっていた子どもがうとうとし始めた。
 目つきが悪いドクターがこちらを見るとたいてい怖がって泣くのだが、今回は気づきもしないとくる。眼鏡の奥で切れ長の目が笑った。
「いいね。どうだネブラ、覚えて歌ってみるっていうのは」
「お断りします」
 それは残念だと笑い交じりのいらえを聞きながし、眠ってしまったらしい子どもをベッドに降ろした。これでようやく離れられる。
「それ、合成でなく生きた女性の声でしょう。でしたらそれが母親の声なのでは」
「そうだろうね。そしてこれは通信の記録だ」
「ほう?」
「これはその宇宙船の中から、よそに向かって送信されたものだ。それも同型のドロイドに向けて。子守を頼まれてた手合いがいたのかもしれない」
 むっと、眉間にしわをよせた。
 当然、いい気分はしない。親が死んだからといって預かった子を荒野に捨てた輩がいるということになるではないか。
「相手方のドロイドは見つけられますか」
「目下調査中だ。あんたはこっちを調べて」
 言葉と一緒に送られたファイルを開く。
 なんのことはない。先にあの船で調べてきたIDの一覧だ。および、そこからドクターが大ざっぱに調べたのであろう個人情報の類。女性が一人だけ混ざっている。
 ニコル・ベリヤ。研究職で、あの試運転の責任者だ。
「母親ですか」
「暫定ね。そいつは企業に正式登録されてる」
 周囲の人間関係を洗ってそこから当たったほうがいいということだ。ファイルを参照しながら、ベッドに座ったままネットをうろつくことにした。
「ネブラ? もう部屋に戻っても」
 言いかけたドクターの口元が妙な形にゆがんだ。指を捕まれて動けずにいるだけでそんな顔をしないでほしい。

10.探偵

 手っ取り早く捨て子や孤児の情報を手に入れるならば教会だろう、と出向いてみたものの徒労。シスターの話ではここ半年や一年で新しくそんな話は聞いていないし、世話した中にもいないという。
 お力になれなくて、と肩を落とす少女に手を振って教会をあとにする。となると、のこるアテは一つきりだ。
 フルボーグの彼女が持っていた音声データ。あれはたしかに宇宙船で会ったあの女性の声だ。探偵の勘が彼女をたずねろとささやくのは是非もないことである。あいにく覗き見してコピーを取っただけで、大本は彼女が持っているのだから。
「どうもドクター、ニルギリ探偵事務所の者です」
 となれば行動に移すのも早い。
 ラファイエット女史は扉を開けた状態で彼を見上げ、それから肩越しに室内をかえりみた。
「この間あずけた患者なんだけど、どこに住んでるとか知りません?」
「ドクター。食事を吐くようになったんですけど」
 扉にかかったラファイエットの手が震えていた。顔を見れば笑いをこらえているふうである。聞き覚えのある声にニルギリが視線をむけると、蒸気の塊のような人影を見つけた。
「よ、よかったなネブラ。熱暴走は防げてるみたいで」
「そうですね。視界もはっきりしないのである程度冷静でいられるみたいです」
 新種のミュータントでも開発していたところだったかと思ったが、声だけ聞く限り昨日荒野から帰って早々荒れていた彼女に違いない。
「やあ、ちょうど探してたんだ!」
「煙たいから話があるなら外で話してもらえるか」
 いったん室内(というより蒸気の中)へ消えたかと思うと、入れ替わりにNNが押し出された。ラファイエットは彼女を追い出すと内側からドアノブを引く。
「ちょ、待ってください、ドクター? ドクター!」
 うろたえた声と、扉の閉まる音が重なる。彼女はしばらく頭を抱えて一通り排熱孔から蒸気を吐き終えると、ようやくニルギリを振り返った。
「それで、何か」
「では単刀直入にいこう。君のところに子どもの親を捜すとかそういう仕事来てたりしない?」
 相手の目がすっと細くなる。少しだけ間をあけて、「ありませんね」とにべもない返事が投げられる。
「そっか、それは残念だ。これでアテがはずれたのも二件目」
 肩を落としてみせる彼にNNは怪訝そうな目を向ける。音声データのコピーを送り返されると苦虫を噛み潰したような顔で「なるほど」とつぶやいた。
「そういうわけなんだよー。関係なかったなら返しておこうと思って?」
「趣味が悪いことをしますね」
「情報は資源だからね! 本体を奪わなかっただけ紳士だと思ってもらいたい!」
 胸を張る彼をげんなりした様子で眺めていたNN、ややあって閉まったままの扉を見やり、戻るでもなくそれに背中をあずけた。
「子どもさがしの依頼でも受けましたか」
「お答えできないな。守秘義務があるからね」
「ではこちらがお答えしましょう。親探しはたしかに請け負っています。ただしあのドクターの個人的興味の範囲のことです。
 それで、わざわざこれをコピーして持ち帰ったということはそちらもこの女性についてなにかご存じで?」
 腕を組んでそれを聞いていたニルギリは、しばらく上を向いたかと思うと、大仰にため息をついた。
「何か」
「いや。最初は楽しかったんだけどちょっと肩が凝るなーこれ」
「そうですか。ではいくら積みますか」
「個人の依頼でそんなに折半できないんだよねえ。報酬の四分の一でどうだ」
「三分の一くらい言えないんですか」
「ええ。生活できなくなっちゃう」
「生きてるつもりか」
「その言いぐさはひどくない?」
 短い議論のすえ、結局報酬の四分の一で手を打つことになった。実際相手も粘るのは面倒くさがるほうだったとみえる。
「惜しくなったら殺して奪えばいいので」
「それは儲けた。死ぬまで借りとくよ」
 何割が本気だか判然としない会話のあと、差し出されたニルギリの手を一瞥して、NNは屋内へ戻っていった。

11.異邦人

 子どもが食べ物を吐き戻すようになった。
 成長の兆しか何かかとドクターに確認をとったところ、変調とか不調とかいう類のものであるらしい。最初から弱っていたが、いよいよだめになりそうだ、ということだ。
「悪さしてるのはこの甲殻だ。というか、この星にないものがなぜかこの星の生き物の体の一部としてくっついてるんだ、当たり前」
 細い指が、うつ伏せになった子どもの背中をこつこつとたたく。
「はがせないんですか」
「骨にくっついてるからね。ああ、言いそびれたがその子どもはミュータントだ」
「はあ」
「ただし母親のデイブレイクは遺伝している。フィーンドとデイブレイクが命の取り合いをしているらしい。おもしろいから私はこのまま観察を続けるけど、助けたいなら好きにするといい」
「助けたい?」
「親探しはやめて観察に徹しようとした手前、誰かさんが大慌てでよその探偵に情報を流してしまったからね」
 含みのある言い方には反感を覚える。が、実際勝手に情報を渡してしまったのは確かだった。
「割に合わないので」
「よく言う。対価に求めるには子どもの命は安すぎるんじゃないか」
 そうかもしれませんね。
 ライフルとブラスターを背負って出て行こうとすると、回転椅子の背が軋む音。呼び止められた。
「それ使えるのか」
「ええ、幸い規格の合う弾もあったので」
「それはよかった」
 なんとなく、あの水袋みたいな感触が腕にまとわりついていた。

12.探偵

 こんな時代に研究職なんてやってる人間は少なからずおかしいものだ。最たるものは今荒野で気ままにやっているエルマ・セルゲンスカだが、あれに及ばない範囲なんて何の指標にもならない。
 特にフィーンドを敵としてでなく味方としてうまく操ろうとする研究なんていまに始まったことではない。その一環として、たとえば人の体にフィーンドの細胞なり体の一部なりを移植してみるとか。
 つまり旅行の折彼女についてニルギリの感じた違和感はそれであった。
 企業の登録デイブレイカーとして研究にいそしんでいた彼女は「デイブレイカーの体にフィーンドの因子を入れたらどうなるのか試してみたくて仕方なかった」。それで、おそらくは自分の体で実行した。
 呼んで問いつめると、ケヴィンはとつとつとそのことについて語った。
 本当なら依頼された時のようにカフェなりで待ち合わせをしたかったが、悲しいかなあんな場所で込み入った会話はしづらい。
 テルミドールの喧噪は昼間も健在で、クロードの創作料理はいつもにもまして刺激的だ。
 それを未だ食べる決心がつかない様子で眺めていたケヴィンは、話し終えると同時にフォークを置いた。どうしても食べてみる勇気はなかったらしい。
「試運転のまえに、ニコルは僕に連絡を入れてきたのです。これを使えればフィーンドの出てくるような穴をこちらがわからでもふさぐことができると。うまくいけば、その機能を拡張することさえできるかもしれない。そういう内容でした」
「あのワープホールだか宇宙船だかの試運転というのは」
「ワープホールは時空振動弾で疑似的に開けたもの、そして目的は宇宙船の耐久、ワープホールでの転移がどれだけ正確に行えるかを調べるものでした。あなたたちが地上に戻ってこられたのは奇跡だったと僕は思っている」
「運の良さには自信がありまして」
 探偵はといえば、それに対して何のてらいもなく、人好きのする笑みで返した。
「それで、改めてお聞きしたいことがひとつ」
「何でしょう」
「なぜ彼女のお子さんについて話をしてはくれなかったのか」
「子どもについては知らなかったと……」
「ドロイドの通信記録を拾ったんですが」
 拾ったなんてのは大嘘である。NNが持ち帰ってラファイエットが特定した子守歌の行き先をニルギリがちょうど知っていた、というわけで。
 青ざめた依頼人の胸元に指をつきつける。
「あなたの電脳が覚えてるはずですよ。子どもの居場所くらいは?」

13.異邦人

 今日はいちだんと風が強い。
 荒野へ戻ったのはヴィークルの回収と、いまひとつ確認すべきことがあったからだ。あの馬鹿があろうことか徒歩で戻ったせいで、自分もまた行きは徒歩になる。難儀な話だ。
 宇宙船の残骸は未だにそこに残っている。といっても、今回はそいつに用はない。
 通り過ぎたところでヴィークルの無事を確認する。大して荷物も無かったが、部品のひとつもはがされていないとは重畳なことだ。
 改めて周囲を見回す。前回と変わるところはなにもない。
「割に合わないですよ」
 何度目かの悪態をついて、瓦礫の山にのりだす。
 自分が死にかけた場所なんてぞっとしないが、立てた推測が正しいかどうかはここに甲殻が一枚落ちているか否かでわかる。
 捨て子が拾われたのは最近だ。いつ拾われたかは知らないが。
 あの男が差し出した遺言入りのカプセルは空になってひさしいようで、もともとなにが入っていたのかは定かではない。彼の送ってくる会話のデータは胸くそ悪い推測をかりたててやまない。
 地面に投げ出されたときの状況は悲惨だった。背中で受け身を取ったせいで甲殻はぼろぼろ、一枚はどこかへ行ってしまっていた。なにも考えず前回は取り落としたであろう武器だけを拾ったが、考えてみれば武器が見つけられて、あの背中一面を覆う大きさのプロテクターが見えないわけがないのだ。
 あれも、生まれたときから持つ体の一部。
 ――怖くなったのです。
 と、遠くで男の声がする。
 ――僕だってたしかにニコルのことを支援できればいいと思っていた。彼女が死んでしまったのなら、その子どもは育ててあげなければと思って。
 ――でも、遺伝を、しているじゃないですか。この子を人間として扱う自信が僕にはなかった。
 だから、預かっていたドロイドに子どもを抱かせて、荒野へ向かわせたのだという。なるほどドクターからデイブレイカーは人間ではないとあらかじめ忠言を受けたが、それはこういうことだったのか。そういう観点でいえば、子どもを捨てた彼も立派に研究者のはしくれであった。
 甲殻はかけらも見つけることができなかった。

14.白昼夢

 だって、他人を使おうとすると予算の問題でどうしても止められてしまうもの。それなら、やっぱり自分でやるしかないと思わない?
 わたしはどうしても耐えられない。
 自分の子どもが八歳になれない世界なんて絶対に認めない。だからどんな手を使っても生きてもらうのよ、この子にもこの星にも。
 彼は彼女の言葉をひとつも理解したくなかった。
 母は強いなんてものじゃない。八歳まで生きられないのが嫌なら子どもを作らなければいいのだ。
 いい歳して世界を救うなんて大言壮語する友人が好きで、その夢を一生かけても一緒に追いかけてやろうと思っていた。
 子どもを作ってもきっと八歳の誕生日を祝うことはないのね。
 その通りだ。
 子どもを作ったわ。わたしは八歳の誕生日を盛大に祝うためにできる限りのことをする。
 なにを言ってるんだ。なにを考えて子どもなんか作ったんだ。背水の陣という言葉があるが、さすがに冗談がきつすぎる。
「でも、あなた手を貸してくれるでしょう?」
 子どもを捨ててから、寝ても覚めてもその光景が目の前に出てくる。

15.another.day dream

「結論だけ申し上げれば」
 NNの声は変にざらついてニルギリの耳に届いた。風の音に紛れてはいるもののどうにか聞こえる。帰り道はヴィークルでとばしているのだろう。
「あの子どもはあそこに捨てられたものだと判断しました」
「なるほど? これでめでたく推測が固まったということだな」
「不本意ながら」
「なんでだよー。喜ばしいことだぞ。ちゃんと対処法がわかったんだから」
 ノイズが重なる。なにごとか言いかけたらしいNNが口をつぐむのと同じタイミングで、隣のケヴィンが顔を上げた。
「どうしたんです?」
 彼の前にニルギリの手が置かれる。取りのけられた手のひらの下から出てきたのは、例のカプセルと電子メモである。
「ニコルさんの遺したカプセルは彼女の持っていた遺伝情報の類。これまでの話から察するにデイブレイクとフィーンドの間の子のようなものでしょう。あなたは、折悪しくそこに彼女の子どもを捨てた。
 死に瀕した子どもは、どうにかこの中身を取り入れ――そこにあった異星人の体の一部を自分の体の一部として取り込んだと」
「取り込んだって何です? なんで」
「ドクター・ラファイエットのもとにお探しの子どもがいるっていう話ですが。話してませんでしたっけ。彼の背中は堅い岩石質の甲殻に覆われ、その性質は骨にまで達する」
「初耳だ」
「あ、カプセルについてはたぶん、あなたに送り出されたドロイドが、客室のドロイドに連絡して持ち出させたんですよ。我が子に遺すって書いてあるし、ね。俺がこれ拾ったの、宇宙船の外に転がってたドロイドの体からなので」
 ニルギリは言うなり席を立った。ケヴィンの腕を引っ張ってテルミドールを後にする。
「いやあよかった! 君が確認をすませてくれたおかげで、安心してあの子を依頼人に引き渡せる」
「はあ?」
 疑問は電脳と目の前両方から飛んでくる。
 ニルギリはなおも困惑した顔で成り行きを見守っていた依頼人をかえりみて、「行きましょうか」
 まるで散歩にでも誘うような口振りであった。

   ***

 いい子ね。大丈夫よ。ねんねしてたのしいゆめを見ましょうね。
 近頃ずっと痛みと息苦しさで泣きじゃくっていた子どもの背を、だれかの手がするりとなでた。それだけで苦痛がひいて、うつ伏せでぐずぐず泣いていた彼の意識を持っていってしまう。
 母親が戻ってきたのに安心して、寝息は穏やかになる。子どもの寝息がおだやかになるのにあわせて、じわじわとその自我は縮小していく。だってもう母親がそばにいるのだ。今更我を張っている必要はないのだから。

   ***

 いやまったく大丈夫じゃない。
 ゴーグルをはずしたNNが呆気にとられているのを、ラファイエットが片手をあげて迎えた。
「遅かったね」
「大丈夫大丈夫。まだ間に合うさ」
 ニルギリの笑い声もけたたましい鳴き声にかき消されてしまう。
 いつも廃墟というにふさわしい静けさを保っていた道の上に解像度の悪い影の群がゆらめいていた。今にも消えそうな影がざわついて、繁華街じみた喧噪の中。
「お子さんはそこ」
 探偵が指さしたのはそのど真ん中だ。
「説明を求めたい」
「あのくらいのガキはよく家から脱走するらしい」
「ドクター!」
「まあそう怒るな。観察をつづけていたら計器やらに突然ハッキングを受けてね。事情はそこの探偵から聞いてたから外に避難したらごらんの有様だ」
「ごらんの有様じゃないですよ……信じられない」
「なぜ僕は連れてこられたんでしょうか」
「依頼人に成果物を引き渡さなきゃでしょー」
 ニルギリはNNがヴィークルを降りたのを見るとそちらへ大股に歩き、再び影の群を指した。
「助ける算段はあるんだけど――
 あの子に触ろうとするとあれがハッキングしてくるんだ。困ったことに俺は戦闘はからきしでね。一歩進むごとに死んでもかまわないけど、そうするとたぶん間に合わないんだよねえ」
「なんなんです、あれは」
「フィーンドというにはちょっと希薄というか薄っぺらいんだよね。ファイアウォールみたいなやつじゃない?」
 フィアーウォールなんてくだらないダジャレを言ってのけるのを後目に、NNはブラスターに弾を込める。
「なぎはらうだけなら得意分野ですが。こんなに広範は……」
「できない?」
「やりますよ。ことが終わり次第流れ弾であなたのことは殺すかもしれませんが」
「それは狙撃というんじゃないかなあ?」
 さっさと走れと相手の背を蹴りつけて自分も後へ続く。できうる範囲あの低解像度の影を視界におさめる。耳元でちりちりといやな音がする。視覚を焼き切られるよりいくばく早く、引き金を引いた。
 次元干渉のやりやすさがこの体のいいところだ。生身であればこうはいかない。
 増幅され細やかに重なる弾道、頭上に展開し拡散する光の網が、地上の影という影を焼き尽くす。片目が焼き切れて視界の左側がスパークする。
「うわ、すごいなこれ」
 何を使ったらこんなことになるのやら、光の柱をくぐって駆け抜ける。文字通りなぎ払う光の速度に不完全なファイアウォールは対処できないままニルギリに手を伸ばしてはほどけて消えていく。
 子どもを抱えていた影が消える。落ちる直前に手を伸ばし、間一髪で飛び込むようにして受け止めて転げた体を下敷きに。スマートではないが宇宙船のときを思えば上出来だ。
 驚いた様子で目を見開いている子供を見上げる。両脇を抱え上げ。
「ほら、そんなことしなくても大丈夫だろう?」
 あやすように揺らす。
「君のそれはつなぎ合わせるための力だからさ」
 体内のデイブレイクと共鳴し増幅し再構成をはかる本人の身体機能を安定させる。ぐずる子どもを膝におろして、ほっと息をついた。
 光の雨は収まっていて、残ったのは瓦礫に穿たれた焼け跡だけである。
 あとは子どもを抱えなおしてサムズアップしてみせるニルギリに、左腕ごと落としたブラスターを何ともいえない顔で眺めているNN。
 ニルギリは駆け寄ってきたケヴィンに子どもをおしつけ「依頼内容はご本人の捜索でしたが」と笑ってみせた。

16.after,day dream

「で、もともと自分が持っていた武器に腕の神経もなにもかも持って行かれたと」
「そうですね。この体のほうが武器の規格に合わなかったようだ」
「そういう問題かね」
 新しく取り付ける腕にはショットガンを仕込むことにした。なんだかんだと言ってどこでも武器を持ち歩けるわけではないし、これなら仕込み武器の重量で殴るだけでも相手を黙らせられる。
 黙らない手合いも思い浮かばないわけではないが。
 子どもはケヴィンが引き取ることになった。人間として見られないとかさんざん言っておきながら、結局情に負けるあたり自分の人間みからは逃れられなかったらしい。甲殻もあの探偵のおかげでより強固に癒着してもはやふつうに体の一部として機能し始めたという。
 そうなればくれてやるのもやぶさかではないけども、どうせこの体には使えないものだし。
 あの水袋みたいな手触りが、いやに手のひらに残っている。
「家残ってるといいね」
「そこそこセキュリティーのしっかりしたところに住んでますので」
「それはよかった」
 ひらひら手をふるドクターに目礼して室内をあとにする。
 そういえば、自宅に戻るのは一週間ぶりくらいだ。まずは寝よう。医者のもとにいたのにひとつも休まった気がしない、まあ、彼女は人を休ませるために医者やってるわけではないが。
 寝て、起きて、また当面は仕事さがしだ。

「また殺しにおいで」

 とささやく笑顔を今は見なかったふりをする。