だれかの恋が終わるころ

永い後日談のネクロニカ/さゔぁんと!


 向いてないな。
 緩やかに弧を描く丘陵、東を見れば原色の森が広がり、北を見れば遠く廃墟と化した街並みがある。ネクロマンサーが住処とするにあたって、おそらくはできる限り環境のよい場所をえらんだであろうことがうかがえる。彼女らの住む家は、この丘を下って森に寄り添うように建ち、今は増える一方の住人たちをすべて収容すべく使い捨てのゾンビやソルジャーが増築を続けていた。
 人の気配もなく動物の一匹も見えないこの場所で、そこだけがいつも不自然に賑わいでいる。
 向いてないな。
 彼女は何度目かのため息をついて、薄い胸の中にそう繰り返した。何に向いていないのか、それについてはわからないふりをしながら、そうやって何度もため息をつく日が多くなった。
 好きなひとがいる。
 見たくもないものが散らばり、聞きたくもないものが聞こえてくる。
 ……好きなひとがいる。

 蹄の音が近づいてくるのに気づいていた。ミラーが顔を上げると、走ってきたルイスが目前に足を止めた。
「よう。何してんの」
 その背中からひょいと金髪の痩身がのぞく。曇り空だというのに、上を見ると不意に光で目が痛んだ。胸からぶら下がった大きな十字架が反射したものらしかった。
「ん、えっと……まあ、特になにも?」
「ふーん。ま、今は家事の分担とかも減っちまって暇だよな」
「ミラーのことだ、気分転換だろうよ。あそこは空気がよどんでいる。彼らは平和を語らず、国のうちに穏やかに住む者にむかって欺きの言葉をたくらむ、いや私たちか」
 低い声がロイスをなだめるように言葉をついだ。図星を当てられてもミラーは大して驚かない。ロイスやベーセラと違ってこの……馬(男?)、は自らの行いによって引き起こされる他人の混乱をも楽しみにしているような悪どいやつだ。
 それで、ロイスから「暇」という言葉が出たということは、彼女もまた暇つぶしにここへルイスを引っ張ってきたのだろう。ルイスはロイスのわがままに極端に甘いのだから。
「ルイスとロイスは?」
 それでも格好だけ訊いてみると「暇つぶし!」と想定通りの返答。
「知ってる? ルイスって足早いんだぜ」
「そりゃ馬だもんね」
「ヒヒン」
「やる気のない馬のまねはやめてね?」
「手厳しいな」
 だいたい自分の意志でしゃべって気に入った人間を背中に縫いつけてる馬なんかいてたまるかという話だ。
 頬を膨らませてよそを向くミラーをのぞき込んで、ロイスがにやにや笑いでルイスの背をたたいた。ルイスがその場に膝を折って座ると、ようやくロイスとミラーの視線はおなじくらいの高さになる。
「さっきからいやに機嫌悪そうじゃあないか。昼寝でもするか? ここは静かだからな、気分転換に昼寝も悪くない。背中貸してやるよ?」
「ルイスのでしょ」
「おれの背中がいいわけ?」
 笑い声にあわせて、外套の下で背中の腕がもぞもぞと動くのを眺め、ミラーは「ううん」とかぶりをふるのだった。黒髪の上を、ロイスの細い指がすべる。なにやら不機嫌な妹分の長い髪を梳くようになで、ルイスの背中に多少強引に引き倒した。
「わ、」
 当のミラーが何事かと抗議をするより少し早く、するりと流れ落ちてきた声がそれを引っ込めてしまった。
 アメイジング・グレイスだ。わざわざミラーの知っているものを選んだのか、そんなことよりも。
 淀みもわずかな影もない清流のような声だった。
 なるほどただ戯れに聖職者じみた服装で聖書をそらんじているわけではなかった。

「ずっと……」
 ミラーの目がすっと細められる。小さな声は歌を妨げるものにはならない。しばらく白い毛皮を見つめ、あきらめてそこに顔を伏せ。
「ずっと歌ってればいいのに」

 ――そうだ、この心と体が朽ち果てて限りある命が止むとき

「そしたら、ずっと好きでいられたのに」

 ――私はベールに包まれ喜びと安らぎの時を手に入れるのだ――

 子守歌のつもりか何か、らしくもない天使のような歌声を。
 それからは眠るまでただ黙って聴いているのだった。