狭間の平穏

永い後日談のネクロニカ/私達の頭の中の消しゴム


 食える魚がとれる場所があるのだな、などと関心したのがつい三日前のこと。
 アーネストは網かごに魚がかかっているのを確認するとそれを取り外しに水の中へ降りた。手を浸すと、川の水は氷のように冷たかった。

「お帰り。どうだった」
「そこそこ」
「それはよかった」
 ギルバートは顔を上げずに簡単なねぎらいの言葉をかけると、再び机に向かった。捕った魚が、床におろした桶の中ではねる。
 今回の仕事は戦闘を主にしない。
 孤立したシェルターで難民の支援をすること。特に、医療面での物資、人員が足りていないということで、ギルバートを筆頭に数人の医師がチームを束ねている。アーネストとエス、クートとアイリーンは護衛兼助手としてついてくることになった。
 護衛、といっても弱り切った老人やけが人、子供ばかりのシェルターで特筆すべき危険もなく、結局はこうして食料を捕ってきたり、書類の整理だ受け渡しだ炊き出しだと助手のまねごとばかりしている。
「根詰めてるわりにあんま芳しくないな」
 肩口からのぞき込むアーネストに、ギルバート博士はそうだね、と苦笑いしつつペンを置く。
 いすの背を軋ませて体を伸ばすと、背中と肩からすさまじい音がなった。
「あっついねそれにしても。アーネストもどうだい」
 傍らに常備した冷蔵庫から適当に取り出した缶ジュースを放る。少年がこともなくキャッチするのを見ると満足げに自分のぶんもプルタブをあける。炭酸の抜ける高い音があちらとこちらで二重になった。
「じつを言えばね、増えてるんだ」
「増えてる?」
「難民がさ。ま、想定の範囲だよ今のとこ。脚どうだい」
「ああ。これ? 問題ないよ」
「それは重畳」
 それまでに比べてずいぶん軽装の脚部を見下ろす。アーネストがそれを見るだにどこか頼りない気持ちになるのは、今までが重装備だったからに違いない。今回着けてきた下半身は一見するとふつうの義肢だ。移動に特化し、装甲をうんと減らした。戦闘になれば腕に仕込んだ武器ばかりが頼りである。
 難民の大半はまだ生きているふつうの人間だ。あまり重装備では警戒されてしまうと言い出したのはアーネスト自身ではあるけれど。
「軽いから、歩くのに慣れないな」
「そうしてるとふつうの男の子みたいだね」
「やめろよ」
 むっと眉間にしわをよせ、少年は手を打ち振った。
「そのせいでじいさんばあさん、ぜんぜん言うこと聞いてくれないんだぜ」
 やれ整列してくれ、やれ道を譲れ、そういった指示を出すのにもいちいちエスを引っ張っていくのをよく見かける。ギルバートはそれを思い出してか気まずそうに笑ってごまかし、ぐっと缶の中身を飲み干した。
 実際のところ、彼らを連れてきたのは感染症のおそれがないからでも、ある。医師以外のメンバーは、今回全員アンデッドだ。彼の仕事は、このシェルターでじわじわと広がっている熱病の原因と対処法を調べることであった。
「住人にさとられないようにってなかなか無茶ぶりだよほんと。君たちにも迷惑かけるね」
「自覚あるならさっさと終わらせろよ」
「うわっ、そこはねぎらってくれるとこじゃないの」
 傷ついたー、と年甲斐もなく足をばたつかせて机に突っ伏したネクロマンサーを横目に、アーネストは空き缶をゴミ箱に投げ入れる。
 すっかり元気をなくした魚の桶を取り上げてまっすぐに台所のほうへ向かう途中、居心地悪くなってギルバートのほうへ顔を向けた。
「今夜何にする?」
「塩焼きがほしい……塩分がほしい……」
「了解。ギル、べつにねぎらうとかでなくさ」
「なんだよう……」
「博士にしたら大したことない仕事だと思ったんだよ。悪かったよ」
 なおも居心地悪そうに台所へ向かう彼の背中に、「アーネスト」と呼びかけ。いささか明るい声であった。
「アイスいる?」
「現金だなお前ほんと」

 清流の中、流されるでもなくその場にゆらゆらと尾をなびかせ、水草や岩の影に鱗を反射させる魚の群を眺める。
 兵士をやっていたころは――街で育ったので? 実をいえばあまり見慣れないもので。川に降りるのを見てクートが「はしゃいでる」と笑ったのもあながち間違いではない。
 戦わない仕事はいい。まるで「ふつうのこどもみたいだ」
 アーネストの言に、顔を洗っていたクートが耳をふるわせて笑った。
「うん。つれてきてくれた博士に感謝しなきゃ」
「荒事嫌うもんなー」
「夕食の当番でしょう、何か考えてるの?」
「別に」
 網かごをひっくり返して、とれた魚を桶に移してしまうと自分も川から上がった。アーネストは水に映る影を見るともなく見てすぐに桶を抱え上げ。
「感謝ついでにリクエストでも聞いてやろうかな」