憂いの季節
永い後日談のネクロニカ/母の手
雨が降りはじめて一週間がすぎようとしていた。
後日談の荒野を歩く旅はこんなときひどく過酷なものに感じられる。フェスタは屋根をたたく雨の音を聞きながらベッドに座って目を閉じていた。
雨が降るとき無事な家屋の多い場所にいられたのは僥倖だった。あまりにきれいに残された街並みに驚いていると、ビビは「細菌兵器というものがあるのですよ」と悲しげに教えてくれた。
この街には、骸骨がそこかしこに転がっている。
父の植え付けた嫌悪は根深く、いまだに姉妹の内側をきりきりと締め上げて離さない。こんな雨の中では特に。
シェルターでの抑圧された生活をことごとに思い出しては泣き出すマホをなだめ、それにいらつくクラジカルの様子にはらはらしながら、自分もまた、「ことごとに祈願をし、」つのる嫌悪感や虚無感を押さえつけている。
ビビはここ二日、彼女らの様子を察してか、初日の夜以降は無理に集まって食事をとることはない、とまで言う。今までに通ってきた街やプラント、工場跡からいくらか持ち出したもののおかげで食事には困らない。ただ、なんとなく罪悪感から全員が一人で食事をとっている現状はあまり芳しくない。
広い家を借りていても、外へ出られなければどうしようもない。
「母様はな、ここのところずっと祈っているよ」
昨晩顔を合わせたクラジカルの声色は、いつになく気遣いに満ちたものであった。
雨に紛れそうな音。ノックだとわかるとビビは顔を上げて、扉の方へ向き直った。
「どうぞ」
遠慮がちに扉を開けて入ってきたのは、フェスタであった。長身を折り曲げるようにして扉をくぐり、すぐに閉めてしまう。持ってきたトレーを片手に持ち直し。
「おはようございます。最近、ずっと別行動でしたから……」
「ええ。おはよう。マホやクラジカルの様子はどう?」
「マホは、あまりよくないみたい。シェルターの窓も、ずっと雨だったでしょう」
娘の言葉にうなずいて、ビビも窓の外へ視線を向ける。
「そう、ね。私にできることは、本当に少ないわ」
「そんなことありませんよ。ビビさんの教えてくれること聞きながら旅するのは楽しいですし。励ましてくれるひとがそばに居るのって、心強いんだから」
言いながら、ようやくフェスタはトレーをテーブルに置いた。ポットとティーカップがひとそろい載ったものだった。
「台所でまだ使えそうな茶葉を見つけちゃったんです。あ、お湯はですね、ここ一帯そうなのかわからないんだけど雨水の濾過装置があって――」
「ええ」
「よければご一緒できないかなって」
「ええ、ありがとう」
笑顔を向けられるとほっと胸をなでおろし、フェスタは向かいの椅子に腰をかけた。紅茶をカップにそそいで、一方を自分の手元へ引き寄せる。
気弱な目はいつもの通り伏せたままで、ひび割れたテーブルの上をさまよう。
「ビビさん、」
「あなたは私を母とは呼ばないのね?」
ふと、顔を上げる。黒檀の輝きがじっとフェスタを見上げていた。
頬杖をついた姿勢はいつもよりラフに見える。
返答に、なにを迷ったのかまた視線を右往左往させて、フェスタは逃げるようにカップに口をつけた。強い酸味と渋みが口内に広がる。飲めたものではなかった。
面食らったのは向かいに座っていたビビも同様らしく。
口元を覆って目をまんまるくした彼女と目が合ってしまうとどちらともなく笑い出した。なにがそんなにおかしいのだか、たっぷり五分ばかり笑ったあとで、大きく息をつくのだった。
「ご、ごめんなさい。味見してから持ってくるんでした」
「かまいませんよ。そうよね、どれくらい放置してあったかわからないんだもの」
カップを横にのけて、フェスタは言葉をついだ。
「お母さんだと、となりに並べないじゃないですか」
「ええ?」
「その、気分的なものですけど。ですから、お母さんでなく、ビビさんと……あ、いけません、でしたか」
「まさか。うれしいわ」
朗らかに笑って答えるビビのほうから、フェスタは気取られぬように目をそらした。
もはや呪いのようなそれはどんなに和やかに接していてもすぐにあふれそうになるもので。
相手もまた、それに敏感であった。
「無理をしなくていいのよ」
「……わたしが」
わたしと、妹たちが耐えられないのは。
「耐えられないのは、こうしてわいてくる嫌悪感がまるであなたの存在そのものを否定しているみたいで」
肘をついて右手で顔を覆うと、前髪で全部隠れてしまう。彼女はまだ一人で何かを飲み込めるほど成熟しきれず、そのくせ妹たちの前では見栄を張ってしまう「長女」だった。
ビビの手が一度机上をさまよい、引き戻されそうになったのを指の隙間から見る。
フェスタの手がそれを引き留めると、黒い手はやんわりとそれを握りかえした。
「そのぶんこうして強く肯定してくれることを、私はいつだって見て知っていますから。ね」
泣くほど悔しがることじゃあないでしょう。
顔を隠したままうなずく娘に、彼女の声はしっかりと届いただろうか。
じわじわと遠ざかっていく雨音に耳を傾けながら、彼女はフェスタが落ち着くまでそうやって手を握っているのだった。
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