Hermaphroditus
インセイン/JOJOの奇妙なインセイン
初夏のことだった。
寄り添った体が軽い調子で離れた。まるで何事もなかったみたいに。ためらいがちな友人の背中がやや後ろへ下がり、少女は対照的に軽やかな足取りで向こうへ離れる。
濃い緑陰に点々と落ちる光、柔らかなフリルの波をたどって視線をあげ――ジョエルはすぐに身を隠した。
押さえた胸の奥で、心臓が早鐘のように鳴っていた。
ラグビーをするのにもだいぶ厳しい体型になってきた。着替えの折り不満げに自分の体を見ているジョエルの肩を後ろから大仰にたたく者があった。
「いたいよ、なにするんだ」
「ジョジョ、近頃やたらため息ばかりついてるじゃあないか」
肩をくんでくる腕をぞんざいに払いのけてまあね、と笑ってごまかす。今はまだ同じように生白い少年の腕。皮肉屋のエルンストは口端を持ち上げてジョエルから離れると、自分のシャツを取り上げて袖を通した。
人気者の彼のお気に入りが、ジョエル・ジョースターであった。お上品な割に時々思い切りのいいお坊ちゃまと悪ふざけの好きな医者の息子は馬が合うようで、気がつくとたいていこうして一緒にいる。そんな、親友といって差し支えない相手の背丈がほんの少し自分より高いのを見て、ジョエルはひそかに歯噛みする。ため息の原因の一つでもあった。
「どうもラグビーは向いていない気がしてさ。クリケットに鞍替えしようかなんて考えてただけさ」
「そうかァ? ここ一年程度で向き不向きなんてわかるもんか」
「そんなもんだよ。鍛えてはいるけど筋肉もつきにい体質みたいだと医者に言われた」
医者ならおれを頼れなどと無茶を言う友人の冗談を受け流して着替えを終える。あとは帰るばかりだ。更衣室にももうほとんど生徒は残っていない。どうせだから歩いて帰ろうと二人で学校をあとにする。
「今日はこれから用事あるのかい、ジョジョ?」
「これといって」
「じゃ、おれの家に寄ってかないか。おまえの好きそうな本がな」
言い掛けて、足を止める。
「いや悪い。今日はなしにしよう」
一転して歯切れのわるい物言いであった。ばつの悪そうなエルンストの顔を見て、それからその視線の先へ顔を向ける。
校門の外に、つばの広い帽子をかぶった少女の姿があった。目の色と同じラベンダーのワンピースが風にあおられ、きゅっと閉じた目が開くと、ジョエルに気がついて小走りに駆け寄ってくる。
「ディアーナ」
「もう終わったのでしょう? 見てたわ」
「ど、どうしたの」
「おナベさんの買い物に、一緒に連れて行ってもらったの。ひまだったから」
「そう」
エルンストは、彼女に会釈されるとぎこちなく笑い返し、ジョエルの肩をたたいて早足に立ち去ってしまう。見れば道にはすでに見慣れた馬車が控えて、横で色黒の家政婦がなんだか申し訳なさそうにしていた。
義妹はそれもそしらぬふりでジョエルの手をとった。ぎくりと手を引きそうになるのをおさえ、ジョエルもまたその手をにぎりかえす。
ディアーナの姿を見て心臓が跳ね上がったのはなにも彼ばかりではない。
「だから、ついでに迎えにきたの!」
少しのかげりもない笑顔であった。
「体を動かすのは楽しい?」
出し抜けにディアーナがそう言ったのは、朝食を終えたジョエルがすぐに出かける準備をしているのを見咎めてのことであった。
ここのところ熱心に外へ遊びにいくのね、とほほえむ彼女に曖昧に笑いかえす。もちろん外で遊ぶのは楽しい。それとは別に、ジョエルはこの義妹のそばにいることに耐えられないことがあった。
走り回って(半ばは意図して)傷の絶えない自分の手足と、握れば体温で溶けてしまいそうな柔らかい指先を否が応にも見比べてしまう。
「ディアーナも来るかい」
「乗馬? この間のようにエスコートしてくれる?」
「もちろん」
ちらりとあの光景が瞼の裏をかすめた。
木陰に隠れてキスをしたエルンストとディアーナの姿を思い出して笑みがこわばる。
ああ、たしかにあの日ぼくは彼女を乗馬になんか連れて行かなければよかったって思ったはずなのに!
「行かない」
椅子から降りると、彼女は緩く編み込んだ髪をなぞりながら目を伏せた。顔の角度だろうか、なんだか拗ねたふうにも見える表情で。
「ジョエル、キスしたことはある?」
目に痛いほどの緑色を幻視する。
「まさか」
「わたし、このあいだエルンストとキスしたわ」
彼女はその真っ白な頬をかすかに上気させてジョエルを見上げた。だから行かない、とその唇の前に人差し指をたてて、
「初めてだったの。ないしょよ」
わかってるよ、といつものように余裕ぶって言えずにいる間に、彼女は満足げに身を翻していた。たかだか無邪気に秘密を打ち明けられることのなにがこんなにも。
ジョエルは頭を打ち振って、考えるのをやめることにした。答えは知っている。日差しが強くなるからと使用人に押しつけられた帽子を目深にかぶる。うすらと日に焼けた自分の手首の色を眺めていた。
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