藪の中
ひとり遅れて初詣も乙なものだ。上月倫は人より遅く朝を迎えて、人より遅く神社へたどりついて、なお減っていない人混みにいささかの苦笑を浮かべて石段を上がる。
寒い道を歩くことも人混みも特別嫌ってはいない上月だが、それだけでは退屈だというのが本音だ。何もない、平和といえば聞こえはいいが、それはつまるとこ、自分の仕事も楽しみもないということだ。戯れに買ってみたおみくじも吉、なるようになれとばかりの文言に頬を膨らまし、神様に文句をたれながらポケットに突っ込んだ。結局、楽しみというのは自分で歩き回って探すよりほかないというのが揺るがぬ持論。この持論の正しさは今までの楽しい思い出が証明してくれている。
今日もまた、せっかく出てきたからには家族に土産話のひとつも持って帰りたいものだ。
ふう、と息を吐くたび視界が白くぼやける。
神社の裏手に回ると、長く連なる鳥居がある。少し進めば雑草や木々に埋もれたただの山道。その向こうに何があるのかなんて、気にするのはたぶん冒険心にあふれた子どもくらいのものだろう。暇をもてあました探偵もまた例にもれず、悪路を掻き分けて鳥居を追いかけてみることにしたのだった。
分け入って入る藪の中には、日差しも通らない暗闇が横たわっていた。
鬱蒼、とはこういう景色をいうのだろう、頭上と足下とにかさこそと葉ずれの音がする以外は、なんの音もなく。突き当たり、というのか、いけるところまで行くと、不意に開けた地面があった。時代からすっかり置いてけぼりのボロい廃屋が、虫食いの壁面をさらして山道の間に埋まっている。
斜面からちょっと勢いをつけて飛び降りると、ちょうど目の前に黄ばんだ漆喰の壁がある。それに手をついて正面に回れば、玄関には壊れた引き戸が立てかけてあるばかり。
妙なのは、そこに子ども用の靴が一足並べておいてあることだ。これは、家と比べてずいぶんと新しい。この家のように放置されたものではない、というのが正しいだろうか。つまり子どもがこの廃屋に忍び込んでいるわけだ。
足音を潜ませようにも、床が軋むのまで黙らせるわけにはいかない。
結果、長い鳴き声を上げて床板が沈むのと同時に、奥の座敷でどたばたと騒がしい音が上がった。声を上げないところから察するに、よほど人に言えないいたずらをしていたと見える。
のぞき込んでみると、なんだ、そこにはがりがりの男が一人と、寝心地悪そうな畳に横たえられた子どもの姿がある。
「やあ。なにしてるんだい」
「あ、ああ、びっくりしたよ」
「僕も。こんなとこに家なんかあるんだね、で、なにしてるの?」
「あ、その」
男はばつの悪そうな顔でその子どもを見下ろす。首元までガードの行き届いた暖かそうな上着、そこになかば埋もれた寝顔は、唇まで紫に染めた蒼白だ。
「子どもが死んでて」
「ああ。見ればわかるよ」
幼女の手元にあるスマートフォンを取り上げて、男に渡す。パスワードロックはかかっていないから、親元への連絡はできそうだ。
「俺もさっき来たんだ。初詣して、神社の裏にさ、」
「鳥居かい。わかるよ、僕も鳥居を通ってきたんだ」
案外と悪ガキ以外にもこんなところにくるものだなと笑いながら、上月はその子どもの傍らに腰を下ろした。
「こんなところで、子どもが死んでるのかい?」
「遊んでたのかもしれないな、秘密基地とか」
額にかかった前髪を除けて、手は上着の襟をくつろげるように下へ下がる。きい、と畳が揺れる。ちらと、上月の目が子どもの足下へ向いた。
「ああ、子どものころはよくあるね。秘密基地。こういう場所ならもってこい。それで事故で死んじゃうなんてまあ不幸にしてもよくある話だ。ところでそれとして死体が綺麗すぎると思わないか? うん、君が来たときにはもうちょっと違う場所にいたとかそういうことかな? それにしては頭を打った様子もなければ、どこかに大きな傷があるふうでもない。不思議だね。うん、やっぱ細かいことは面白、もとい気になってしまってね。ドラマとかで探偵の使う常套句だがねこれは。君はそういうの気にしないタイプかな? まあいいそこはあとから追及するとして君にはちょっと救急車を、おや」
振り返りざま、視界が一段暗くなったのを見ると横へ転げるようにそれを避けた。
振り下ろされた包丁は深々と、横たわった幼女の胴体に刺さる。上着にじわりと血がにじみ、小さな肩が身じろぐ。ひっ、と息をのむ男の顔を、見開かれた子どもの目が見つめていた。
「救急車を呼べと言ったのに」
肩を落とす。さすがにこうなっては上月にも助けようがない。男の取り落としたスマートフォンを取り上げて、溜息をついた。
恐怖に染まった絶叫はどちらが上げたものであったろう。
110番にかけっぱなしのスマートフォンとそこから聞こえる音声、およびGPSを頼りに警察がその秘密基地を見つけ出したときには、やせた男が横たわった子どもの腹を熱心に包丁で耕していたという。
***
「それで、種明かしがあるのでしょう。探偵さんなら」
晩酌の肴にと上月の持って来た土産話を一通り書き留めると、浦日はようやくペンを置いた。勝手におせちの数の子をほおばっていた探偵はにやりと笑って見せ、「おだてるのが上手じゃないか」
「探偵小説ではこういうやりとりが常道ですから」
「なるほど確かにね。じゃあ面白くもない種明かしと、一番君がほしがってるであろう情報をプレゼントしよう。なにお年玉にネタが降ってきたとでも思ってくれたまえ。ちょっと僕も不機嫌だからね、こうして誰かに話さずにいられないというわけで、話さずにいられないなら警察なんぞよりもっと面白みのある相手に話したいと思った次第だ」
「それは光栄です」
「彼女は通話の画面を開いてスマートフォンを持っていたんだよ。もっとも電話はどこにもかからなかった。きっちり着せられた上着の下には首をぐるりと囲む手のあざがあった」
「人気のないとこに連れ込んでいたずらしようとしたんですね」
「けしからぬ発想だ。ただ、幸いにして彼女にはかすかに息があったんだ。苦しめずに殺すべきかとりあえず助けるべきかちょっと考えて、僕は助けるべきだと判断した」
「ところが犯人は包丁を隠し持っていた」
「絞め殺したのにだよ! 信じられないだろ。まあそういうことさ。ところでその彼女の足の裏には汚れ一つなかった。ああ、靴下は履いてたよしっかりと。真っ白なやつ。ときに、あの男も僕も土足で入るくらい荒れた廃屋に靴を脱いで上がって、汚れひとつつかないなんてことあるかな?」
「ないでしょうね」
「じゃあ、男に靴を脱がす動機があったんだろうか。まして玄関先にきちんとそろえて置く余裕なんて?」
「誰がその靴を玄関に置いたんでしょうね?」
「犯人は否定してるそうだよ」
ぐいと熱燗をあおるこの探偵も、傍からみれば子どものような外見をしているが。浦日は少し考える素振りの後、また一筆メモ紙に書き付けてから顔を上げた。
「語り手の一人称であれば、異常者の語り手が自らそうしたのだ、なんていうオチにもできますね」
「本人の前で言うのかいそれを?」
けたけた笑うところを見ると、彼の切り返しは上月の気に召すものだったらしい。
いずれにしても。藪の中に埋もれた真相は、浦日の創作によってのみ記されるものであった。
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