猫神
高校のときかな~。夜道でよく会うお姉さんがいたんですよね。夜のしごとってやつ。俺もまあ、そこそこ悪い子だったんで、時々会ってました。あ、いま変なこと考えたでしょ~。残念ながら、払う金とかもないし、ときどきお姉さんの愚痴聞いたりとかするくらいでしたよ。彼氏いたしさ。
まあ、そんでいろいろ苦労話とか聞くわけ。内容は別に言わなくていいよね、プライベートな話だし。俺もちょくちょく悩み事とか相談しては「作り話っぽい」なんて笑い飛ばしてもらってたなあ。そういうの。お姉さん――言いづらいっすね、アキさんって呼びますか。アキさんにね、すげ~寒い日の夜中に呼び出されたんすよ。
いつもにもまして薄着で、そのわりに一仕事終えてきました! みたいなかんじで泥だらけなの。理由とか聞かなかった俺、ちょっとできすぎてたと思うなー。あんま寒そうだったんで上着ひっかけてあげたら、なんかぎょっとされましたね。
で――まあ、聞かなくても何があったか教えてくれたんです。
「のりあきくんをお仕置きすることにした」んだって。のりあきくんっていうのは、アキさんの彼氏なんですけど。何日か後でご飯持っていくっていうから一緒に見に行ったら、土にガッツリ体埋められてたんですよね。首だけ出してて。俺たちに気づくとすげー怒鳴り散らかしてきて怖かったな。アキさんは途中で買ったプリンを開けて、のりあきくんの鼻先に置いてあったおいなりさんと取り替えてました。うん、お察しの通り食えないし、当然腐ってんだけど。
のりあきくんは血走った目でプリンを見て、今度は泣き声でアキさんに謝ったりお願いしたりしてた。一週間くらいずっとそんなかんじなんだって。俺も「こんなんじゃ彼氏死んじゃいますよ」って言ったんですけど。通報? 怖いでしょ。できる? 誰が通報したかわかる状況で。俺はちょっと無理。当然アキさんはのりあきくんの泣き声や怒鳴り声、あと俺のことも無視してとっとと帰り始めたから、ついて帰るしかなかったわけです。
「ねえ、きみだったら、彼氏のこと我慢できなくなったらどうした?」
そんなん俺に聞かれてもってかんじだったんだけど。答えに困ってたら「自分の気がすめばそれでいいの。でも、何をしてみてもだめなの」そんなことを涙ながらに言うんです。あそこまでしてて気がすまないんだったら、別れちゃえばよくないかって思うんだけど、そう簡単なものでもないらしいって。たしかにアキさんには憧れてましたけど、ちょっとその頃には怖いほうが勝ってたかな。だから、寂しそうに肩が震えてても、手を伸ばしてやったりはできなかった。
「鍋島くん」
でも、隠すってほどのことはしてないから、結局アレ誰かに見つかっちゃったみたいなんですよね。
のりあきくんの生首。
「鍋島くん」
死後、えーっと……二週間くらいって言ってた。うちにも警察来たけど、俺も答えようがなくて。ほら、俺が見たときには生きてるように見えましたし。つか、俺に対しては生首が喋っててもおかしくないけど。そういうの人に説明したら俺の頭がおかしいって思われちゃうし。お姉さん、すぐに捕まっちゃったんですよね。
「鍋島くん!」
視界が反転した。肩を掴まれて、後ろに引き倒されたらしいとわかって、
それを振り払うように体をはね起こすと、眼鏡越しに眉間にしわをよせた芦屋サンの顔があった。
「……はい?」
「はいじゃありません。おはようございます」
「はあ」
「お怪我はどうですか?」
言われてから、俺は自分の体をさぐってみる。ひどい筋肉痛以外には特別怪我してるふうには見えない。強いて言えば、ずっと両手がブルブル震えていた。そういえばげんこつのとこだけ真っ黒に鬱血してる。
「これは?」
「長々君がいきさつを説明しながら、そのアキさん(仮称)を殴ってたんですよ」
目を向けられた先では、マオが全身の毛を逆立てて彼を威嚇している。
「状況証拠的には、頑張れば過剰防衛で済むでしょう。君の体質も考えものですね」
前後の状況はぶつ切りだが、彼女は出所してすぐ俺のところへ来たんだろう。俺、通報してないんだけどなあ。
「……なにを勘違いされてるか知りませんが。君はしばらくここで療養ですよ。一ヶ月は許可なしの外出を避けるように」
「ええー! なんすかそれえ!」
「お姉さんとも約束してありますし、バイト先にも彼女のほうにも連絡はしておきます」
「俺の意思は!?」
「霊障で意識失ってる間の事件には適用されませんね」
唇とがらせて抗議の視線を向けてみても、しれっと無視されてしまう。ベッドサイドにある山盛りのお菓子、もしかして俺じゃなくってマオの機嫌とるためのやつだろうか。いっそう釈然としない思いだけど、まあしょうがない。諦めの速さにも自信があるのだ。ややあって再びベッドに体を沈めた俺のほうを一瞥して、芦屋サンは椅子から立ち上がった。
「ではまた」
背中を向けた彼にけどられないよう、俺は両手で抱えるみたいに腹をおさえていた。
ベッドサイドのお供え物の山からずっと目が離せずにいる。目に写った瞬間から、耐えきれない飢餓感が胸の内側をかきまわしていた。
◀