普通の部屋
「バイト先どう? ゲーセンでしょ、うるさくない?」
「あー、ちょっとね。あ、でも仕事教えてくれる先輩が話しやすくていい人」
「へー、イケメン?」
「イケメンっていうかかわいい系なの、年下の男の子みたいな! あ、でも歳きいたら二十歳だって」
「えー! いいな!」
「いいでしょー。えへへ、そう!! そういえば今度一緒に新作のホラー映画見に行くんだ! 一緒に! しかもバイトの後レイトショーでいくから運よかったら泊まれる!」
「あっ、いいなー。進展あったらいいね、わたしもかわいい彼氏ほしい」
あんまり怖くなかったねー、なんて言いながら帰り道。不満げな鍋島さんの横顔をちらちら見ながら感想戦に花を咲かせる。歩幅ははしゃいでちょっと大股の私とあんまり変わらないくらい、背丈も同じくらいだからなんだかほんとに同級生の男子としゃべってるみたいだ。
大きな交差点に差し掛かると、ちょっと足を止めて少し考えたふうで、「家どこ?」と訊かれた。
「駅まで送ろうか、あー、でも一人で夜道歩かすのもなー……しまった」
考えてなかった、とうなり声。ここで私が大丈夫ですよ、っていえばいいんだろうけど黙って成り行きを見守ることにした。あ、てか下心とかなしにほんとに何も考えてなかったんだなこの人。
いつまでも眉間押えて考え込んでいるので、「鍋島さん家、近いんですか?」と声をかけてみる。
「あー。まあね。でも俺ん家出るし、なんもないしー」
そういえばそんなこと言ってたな、むしろよくホラー映画見て帰ろうなんて思うな。
やっぱ本物見なれてると作り物は違って見えるのかしら。そんなことをのんきに考えていた。家族にはすでに友達の家に泊まるってライン入れてるからたとえ鍋島さん家が事故物件だったとしても後には引けないのだ。
ややあって、決心ついたようで仕方ないとばかりに鍋島さん、自分の家に泊まってけって提案をしてくれた。こんなことでたっぷり悩んだあげく「ちゃんとご家族に俺から連絡するか」とか、見た目に反してちょっと古臭いこと言い出すのがなんかおかしい。
家族への連絡は丁寧にお断りしつつ、待ってましたとばかりにうなずく私の手を引いて、かれはすぐさまきびすを返した。
「あっ、あれっ、鍋島さん?」
「いや、まず布団をひとそろえ買って帰ろうと思って」
「えっ」
「何もないからさー、いや、ほんと」
苦笑いしながら先を歩く鍋島さん、いや何もないってったって、
……男性の一人暮らしってそんなに何もないもんなの?
ちょうどお風呂から上がったころだった。見れば今頃意中の彼とデートしてるはずの級友からだ。進展なんて明日報告してくれたらいいのに、苦笑しつつ通話ボタンに指を置く。耳に当てるの面倒だからハンズフリーで。
「美沙……! 美沙! なんで出てくれないの!」
いやに切羽詰まった声だった。泣いてる?
「お風呂入ってたの。どうしたの?」
「泊めて」
「は?」
「お願い、泊めて」
「は、うーん……いや、いいけど。なに、ほんとにどうしたの」
後ろからは友人の声と別にやたらのんきに「気を付けてねー」って声が聞こえる。送っていこうか、という言葉にいいです、とやたら早口で返しているのを聞いた。
なんていうか思ってたより声が高い。男性というか、男の子……? なるほど。
それで彼女、なんでこんなに必死なんだろう。しばらく続くがさごそ音と見送りのような短いやり取りの間ずっと電話を切らずに待っていると、扉が閉まる音の後ようやくまた友人がしゃべりだした。
「だって……だってほんとに何もないんだもの」
「何もないって、なにが?」
「あっ、あの人の家っ、なんもなかったの!」
「そりゃ人泊める準備してないだろうし、一人暮らしなんてそんなもんじゃないの?」
「違うもん! ベッドも布団も、ソファーとかテレビとか箪笥とかテーブルとかそういうのがひとっつもなかったの!!」
「ん……?」
それってつまりどういうことなの?
「だ、だから、」
こちらの困惑をよそに友人はいよいよしゃくりあげるような泣き方で話し始める。いわく――
彼の部屋には文字通り「なんにもない」。
その、一般的に家でよく見る生活必需品の一切が存在しない。
むき出しのフローリングの上に大きい段ボールがぞんざいに二つ三つ転がってるだけだというのだ。それって、からかわれただけなんじゃないか。家に来た彼女にそう言うと、ぶんぶんと大きくかぶりを振った。
「電気もないんだよ!」
「それで、それで、ちょうど洋間二つあるから一人一部屋でいいねって言うの、もう、もう……」
そりゃ怖い。電気もつかないって、寝に帰ってるだけなのかなあ。
結局、友人はそのあと一週間もしないうちにバイトをやめてしまった。
***
女の子を一人で夜の町に送り出すのに抵抗がなかったわけではないが、まああんなにおびえられては仕方ない。
彼女いるほうでない部屋をあてがったんだけど、もしかして霊感とかある子だったのだろうか。神妙な顔をする鍋島、横からの声に言われて初めて床に放り出してそれきりになっていた袋を見やる。
「そうだな、俺使おうかな。せっかく買ってきたしー」
言い終わらないうちに袋に入ったままの布団をクッションみたいにして丸くなる鍋島を見下ろし、壁の染みは何か言いたげにいちど身じろぎした。
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