黒猫
なんとかっていう名前の幼なじみがいた。名前も顔もいまいち覚えてないけどよく家に行って遊んだ。
二階建てのごく平凡な家で、彼女はくるくる走り回ってお母さんの手伝いをする子だった。お父さんはあんまり帰ってこないとかで顔をみたのは一回だけ。遊びにいっても一階から声がかかるとすぐ走って行って、そのつどお菓子やらジュースやらを持たされて戻ってきた。
彼女の部屋は母親と隣同士で、仕切りは襖ひとつだった。ようは、そんなに広い家ではないのだ。
そんな狭い家の押入れに、彼女は猫を飼っていた。お母さんが拾ってきたんだって。黒くて、目のまん丸い猫だった。人懐っこいから、半分はそいつに会いに行ってたようなものだ。
ある時、「お泊りしよう」という話になった。小学生や中学生なら一回は経験すると思う、俺は即答で「ウン」と答えた。気の合う友達と夜中にこそこそ話をするのってやっぱ憧れるじゃないか。そういうノリだったと思う。
夜は何を食べたんだっけ、彼女の部屋に布団をしいて、電気を消して、ひそひそ話で昼間のことやら噂話やらで盛り上がった。一度は隣から「早く寝るのよ」と声がかかったので、一時間くらい黙って手遊びしていたのを覚えている。足元に猫が丸くなって、真冬だけど寒くはなかった。
何時までそうして話してたのかは覚えてない。いつのまにか寝ていたらしくて、俺は彼女に体を揺さぶられて夜中に目をさました。
「なんか隣がうるさい」という。
耳をすましていると、確かになんだか隣でかさこそと音がする。加えて、部屋の中もなんだか寒い。いままで寝ていたと思えないくらい布団が冷たかった。
俺と彼女は冒険気分で顔を見合わせて、頷きあった。やることは一つだ。
ちょっとだけ傾いていたその襖を、二人で両側から手を沿えるようにして音のしないようにうごかした。ほんの少しだけだ。
隣の部屋で、なにか黒い影がもこもこ動いていた。ちょうど彼女の母親の寝ているあたりだ。黒猫は母親の布団の足元ででろりと長くなって寝ているのがうっすらと見える。窓は開いていた。息を潜めていたはずだったのに、隣で幼なじみが小さく「えっ」と言った。
影が振り返って、走ってきた。ばん、と襖に手をついてするするとその顔が俺たちの前まで降りてくると、糸のように細い目が笑った。「にゃあー」とかすれた男の声が聞こえた。
「いやあああああああああああああ!! いやあああああああああ!!」
叫びながら、幼なじみが襖を突き飛ばすようにして後ろへ下がった。
それから先はよく覚えてない。彼女が言うには「猫がお母さんを噛んで殺したの、だからあたしがやっつけたの」ってことだった。
あの猫部屋覗いた時に死んでなかった? とはさすがに、聞かなかった。
彼女は、お父さんに引き取られた。詳しいことは知らないがその時はすでに離婚成立してたんだそうだ。
それからのことは知らない。
***
「怖いねー。あれ結局娘さんが犯人だったんだってさ」
バイト仲間が話かけてくるのに、鍋島は苦笑いしながら手をふった。
「やめてくださいよー、俺そーいう血なまぐさいの苦手なんすから」
「えー、ホラー好きじゃなかったっけ?」
「殺人事件はホラーと違うっす」
「えー」
つれないんだからー、と頭をこづかれながら唇をとがらせる。彼女はやたら身の回りで起きる事件に詳しい。未解決事件なんかの趣味は合うけど、ここ最近の事件となると下手に調べようものなら取り憑かれそうで怖いから近づきたくないというのが本音である。
彼女がここ一週間熱心に話していたのは都内の父娘二人暮らしの家で起きた殺人事件だ。父親が深夜に侵入した何者かに刺殺されていたのを長女が発見、通報、その内容が「黒い猫が入ってきて父を殺した」。
いくらなんでも成人した女性のセリフではない。
「ほどよくブキミで面白かったのになー」
「そーいや黒猫って小説知ってます?」
「あ? 知らないけど何?」
「殺された黒猫の怨念が妻殺しの男を取り殺すんですよー。面白いからおすすめ」
見せられた新聞記事の写真を眺める。
「黒猫で思い出したんすけどね」
「へー。今度借りて読もうかな」
被害者の写真が鍋島を見て糸のような目を笑わせ、かすれた男の声で「にゃあー」と言った。
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